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庫裏内住宅のリノベーション

 201712月に竣工した庫裏内住宅のリノベーションについて説明したいと思う。

 築40-50年のお寺の庫裏内に以前改装して設けたLDK及び玄関スペースを再度改装して快適な生活空間に生まれ変わらせるというもの。解決すべき問題点は以下3点。①暗い ②寒い ③モノが溢れる。

 ①は唯一の採光面である北側隣地境界の塀が迫っていることが原因。これに対してはハイサイドライト(高窓)を設けて上部からの採光を確保した。また塀を白く塗装することにより反射光を室内に取り入れる工夫もしている。②は古い木造建物に共通の断熱性と気密性の不足による。そもそもこの建物は庫裏なので玄関エリアには煙出しが設けられており、直接外気と繋がっている。このおかげで夏場は涼しく過ごすことができるが、冬場はかなり寒い。そこで冬場暖かく過ごせる場所をLDKに絞ることにした。LDKの床、壁、天井に断熱材を充填し、窓ガラスは全て複層とした。木製扉にも断熱材を充填している。また、断熱性能に優れたポリカーボネートで間仕切壁を構成することにより玄関エリアへの採光も同時に確保している。③については御施主様にモノの整理をしてもらうことが前提だが、収納できるスペースをあちらこちらに設けている。玄関倉庫と下足入れの他、収納棚板設置箇所が6ヶ所。更にキッチン背面収納、吊戸棚、床下収納を設けている。

 その他デッキを敷くことにより狭い屋外隙間空間を積極的に生活にとりいれる工夫をしている。このデッキスペースが将来子どもの遊び場になることも期待している。ちょっとした遊び心で、御施主さんが飼育されている熱帯魚がきれいに見えるように水槽に合わせて大工さんに枠を作ってもらったりもした。

 工務店さんもいい仕事をしてくれ、お施主さんご家族にも喜んで頂き、楽しく仕事をすることができた。

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http://www.office-nagasaki.com/ja/works/c0/22/1

京大立て看板強制撤去について

 京都大学が吉田キャンパスの周囲に並んだ立て看板を強制撤去した。景観条例に違反するとして京都市から指導をうけてのことのようだ。表現の自由VS景観という構図で議論されるが、僕は純粋に景観の問題だと捉える。

 果たして立て看板がなくなって景観が向上したのだろうか。ただ、淋しい通りになってしまっただけではないのだろうか。実際に現場で立て看板がある場合とない場合のどちらが景観上好ましいかを検証した上での決定なのだろうか。それとも、規制の条項とただ照らし合わせただけなのだろうか。景観をよくすることが大事なのか、それとも条文を守ることが重要なのか。容易に陥りやすい落とし穴があるように思える。本末転倒だけは避けなければならない。

 そもそも良い景観とは何だろうか。とても難しい繊細な問題だと思う。建物や塀などの人工物の景観を考える場合、まず2つの対策が思い浮かぶ。一つは、周囲と調和させること。もう一つは素材を吟味して形や色を整え美しくすること。調和とは?美しさとは?どちらも簡単な答えがあるわけではない。少なくとも条例の文言だけでそれを解決できるとは到底思われない。

 景観を考える上で前述の2点の他にもう一つ考えなければならないことがあると思う。広辞苑の景観の蘭を読むと「自然と人間界のことが入りまじっている現実のさま」とある。また京都市発行の冊子『京都の景観』の中に「京都の景観は、自然や時の流れとともに人の営みや暮らしによりかたちづくられてきました」という記載がある。そう、景観には我々人間が欠かせない。町並みに人々の活動や個性がにじみ出ると魅力的な景観が形成されると思う。露地裏の植木鉢、ベランダの布団干し、道路にはみ出た八百屋のダンボール箱、道路に張りだしたカフェテラス、どれもがとても魅力的。場合によってはルールからちょっとはみ出しているかもしれないが、それらを全て厳密に取り締まっては町の魅力や活力が半減する。ルールを少し緩くするという知恵を働かせることもできる。ただきれいな建物が整然と並んだよそよそしい町には何の魅力も感じない。「死んだ景観」と呼べるかもしれない。吉田キャンパスの立て看板は京大生の活動や個性が街ににじみ出たものだと思う。これこそが守るべき景観とは考えることができないのだろうか。

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同済大学界隈

建築分野が有名な同済大学周辺には建築書店が集まっていると聞き、上海出張最終日に同済大学エリアを散策することにした。地下鉄10号線に乗り換えてキャンパス南東の四平路駅で下りる。

まず地図アプリにも出てくる上海建標書店に行ってみた。専門書店なので客はほとんどおらず店内はひっそりとしている。親切な店員さんに色々教えてもらいながら2-30分ほど過ごし、一冊購入して店を後にした。粗品のノートと名刺をくれた。

その後キャンパス東側の路地を北へ向かって歩く。洗濯物を窓から道路に向かって干すおなじみの景色が続く。実はこういうの嫌いじゃない。ただきれいな建物が並んでいるより、生活がにじみ出るような街並みの方が美しいと思う。

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大学正門近くの同済大学駅に近づくと急にお店や人通りが増えてきた。キャンパス外にもデザインの凝った大学施設がちらほら。上海のプロジェクトでつきあったことのある同済大学建築設計研究院の建物も現れた。大学の先生が数人でやっている小さな設計事務所と思ったら大間違い。1000人を超える巨大組織事務所だ。日本でこの規模を超える設計事務所は日建設計とNTTファシリティーくらいだろう。

 昼食を済ませ、今度は貝図建築書店(同済連合広場店)というところに入る。本屋というより大量の建築書が飾られたカフェ。いかにも大学街にありそうなカッコイイ店だったが、あまりにも無造作に本が積まれており、何も探し出せずに疲れ果てて出てきた。

 地図アプリによると大学構内にも同じ貝図建築書店があるので、そっちへ向かってみる。大通りに面した正門を潜ると日曜日だというのにとても賑わっている。門のところに警備員はいるが、誰もが気軽に入ることができる。実際、僕も何の緊張もせずに自然に門を通ることができた。日本でも自由に出入りできる大学はあるが、何か入りにくい。この違いは何だろう。緑が溢れるキャンパス内で大勢の人々が思い思いに過ごす。まるで公園のよう。本当に街に開かれたキャンパスだ。日本でも「開かれた大学」という言葉はよく聞くが、こんな光景をあまり目にしたことがない。とても素晴らしいキャンパスだと思う。結局、建築校舎内にあるはずの貝図建築書店を見つけることはできなかったが、大学構内をゆっくり散歩することができた。いい時間を過ごせた。

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法界寺阿弥陀堂

門に近づくと、左奥に木々で半分隠れた檜皮葺屋根の趣のある建物がそっと現れる。宝形造に裳階がついた堂々とした姿が存在感を示す。吹き放たれた裳階の列柱が更に目に心地よい。

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法界寺は足利義政の妻日野富子で知られる日野氏の菩提寺。1051年日野資業(すけなり)が薬師堂を建立したのが始まり。開山は最澄でもとは天台宗だったが、現在は真言宗醍醐派の別格本山。親鸞聖人誕生の地としても知られる。1221年、承久の乱で堂宇の大半を失い、現在の阿弥陀堂は1226年頃、唱導僧・聖覚(しょうかく)により再建されたものとされる。平等院鳳凰堂の本尊と同じ仏師・定朝(じょうちょう)による阿弥陀像が焼失を免れたと伝わる。

堂内に入ると、大空間の中心に四天柱に囲まれた須弥壇に安置された大きな阿弥陀如来坐像の迫力に圧倒される。来迎壁がなく仏像を四周からゆっくり眺めることができる。お顔は幼子のようだが、光背と天蓋の彫り物のせいか荘厳な雰囲気をもつ。四天柱や長押上の小壁の内外には曼荼羅の諸尊や飛天の色褪せた絵で埋め尽くされている。当時の信仰の篤さや時の流れを感じさせる。四天柱と側柱をつなぐ虹梁などは一切なく、四周の壁から中心に向かって化粧垂木でつながる天井面が遮るものなく目に入る。求心性と上昇感を高めている。個人的には天井がもっと高い位置にあって、須弥壇空間がより独立するとバランスが良いように思う。

宝形プランといえば、重源(ちょうげん)の建てた浄土寺浄土堂が思い浮かぶ。浄土寺浄土堂はシンプルでモダンな外観に対して、内部空間は朱色の虹梁が四方に飛ぶ複雑な印象を与える。これに対して法界寺阿弥陀堂はちょうど逆。外部は檜皮葺屋根に裳階や吹き放し列柱を備えたいかにも古建築だが、内部空間はシンプルでモダンな印象。

阿弥陀堂、阿弥陀如来坐像ともに国宝だが、観光客もまばらで静かでひっそりとした寺院。

 

建築名:法界寺阿弥陀堂

竣工年:1226

所在地:京都市伏見区日野西大道町19

拝観料:500

参照文献:法界寺パンフレット、日本建築の形Ⅰ/斎藤裕、Yahooコトバンク

北宋汝窯青磁水仙盆(ほくそうじょようせいじすいせんぼん)

台湾の故宮博物院から来ている北宋汝窯青磁水仙盆を見に大阪中之島の東洋陶磁美術館へ行ってきた。

美術館のチラシによると、「中国北宋時代(960-1127年)に宮廷用の青磁を焼成した汝窯は、〈天青(てんせい)〉とも形容される淡い青色系の典雅な釉色を追求しました。その神々しいまでに美しい色合いと質感、そして端正で上品な造形は、やきものの一つの究極の姿を示しています。」とある。

故宮博物院から4点、東洋陶磁美術館所有のものが1点、計5点の汝窯青磁水仙盆が一堂に会している。いずれもきめ細やかで本当に美しい色と質感。確か上記チラシの言葉通りだ。

清の時代に汝窯青磁を再現させるべく皇帝が景徳鎮でつくらせたと言われる「倣汝窯青磁水仙盆」も同時展示されていた。しかし、明らかに他の5点より劣る。赤ちゃんの肌と大人の肌くらいの違いがある。質感も汝窯青磁と比べると味わいに欠ける。当時の最高技術を駆使したはず。にもかかわらずこの違いは何だろう。

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中でも“人類史上最高のやきもの”といううたい文句の「青磁無紋水仙盆」は本当に光っている。ここだけ照明の当て方が違うのではないかと疑ったくらいだ。きめの細やかさに加えて青の魅力が圧倒的。これと比べると他4点は少しくすんでいる。この展示台の前で長時間足が止まっていたのは僕だけではなかった。

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