清真大寺、大雁寺(第37日)

 今日はイスラム寺院である清真寺(チンジェンスー、QingzhenSi)を訪れた。境内は完全に壁で囲まれ、周囲の町の喧騒と切り離された静謐な空間を確保している。そこにはドームや尖塔はなく、一見してイスラム寺院とはわからない。完全に中国の伝統建築様式を用いてつくられている。

 入口を入るとまず朱色の木牌楼と照壁(しょうへき、Zhaobi)が迎えてくれる。センスの良い照壁のレリーフがとても美しい。照壁は風や視線よけの機能をもつ風水思想の影響を受けたとも言われる中国の特徴的な建築形式の一つ。北京に多く残る四合院(しごういん)の入口にも必ずといっていい程照壁がある。影壁(Yingbi)とも呼ばれる。厳密には、照壁と影壁は違いがあるのかもしれないがわからない。

Qingzhensi07 Qingzhensi03 Qingzhensi04  50m×250mという細長い敷地の中に建築郡をシンメトリーに配列している。二道門、三道門、四道門といくつもの門を潜って奥へ奥へと進んでいくのだが、先に見える大きな瓦屋根の鮮やかな青が目に焼きつく。青い屋根の建物はメインの礼拝殿。中を覗くと彫像も何もないガランとした大空間。ここがモスクだと改めて気づく。

 境内には小空間があちこちにあって心地良い。規模も大き過ぎず、地元に根ざした寺院であることが感じられる。真ん中より境内の両端を歩く方が面白い。

 今日はお寺をもう一つ、慈恩寺(じおんじ、CienCi)へ行った。有名な大雁塔(だいがんとう、DayanTa)を見るためだ。大雁塔は玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)、三蔵法師がインドから持ち帰った経典や仏舎利等を保管するためにつくられたもの。高さ64mの四角錐楼閣式のレンガ造りの塔。玄奘三蔵自ら設計して施工指導にあたったと言われている。古都西安のシンボルにもなっている。安定した重厚なデザインが美しい。

Dayanta01 Dayanta02 Dayanta03  中は螺旋階段で上まで登ることができる。各階の開口部から眺める四方向の景色は悪くない。頂部には14の文字が円く並んでいる。「西天拝佛前人賛唐僧取経還須遊」この14文字の読み方は幾通りもあるという。

西天拝佛前人賛唐僧取経還須遊

天拝佛前人賛唐僧取経還須遊西

拝佛前人賛唐僧取経還須遊西天

佛前人賛唐僧取経還須遊西天拝

前人賛唐僧取経還須遊西天拝佛

人賛唐僧取経還須遊西天拝佛前

賛唐僧取経還須遊西天拝佛前人

唐僧取経還須遊西天拝佛前人賛

僧取経還須遊西天拝佛前人賛唐

取経還須遊西天拝佛前人賛唐僧

経還須遊西天拝佛前人賛唐僧取

還須遊西天拝佛前人賛唐僧取経

須遊西天拝佛前人賛唐僧取経還

遊西天拝佛前人賛唐僧取経還須

 14通り全て意味が通るのか定かでないが、漢字文化のとても粋なお遊び。

バス                     1×2=2

清真寺                 5×2=

昼食                         17

慈恩寺                 25×2=

大雁塔                       20

買い物                        22

夕食                        20

コーヒー                       30

宿泊費/日                    343

計                          554RMB(=8310円)

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陝西歴史博物館(第36日)

 西安(せいあん、Xian)は、京都と並んで世界に名高い古都。ただし、歴史の刻みという点では京都を遥かに凌いでいる。794年に桓武天皇が遷都したことに始まる京都に比べて、西安はその千数百年前の紀元前11世紀に西周が都と定めて以来秦、漢、隋、唐など13の王朝が都を置いた。また、シルクロードの基点としても栄え、古くは長安と呼ばれ、唐代には人口100万を越える世界トップの国際都市だった。かつてここでは秦の始皇帝、漢の武帝、司馬遷、則天武后、楊貴妃、三蔵法師・・・数え切れない程の人物が活躍していた。そんなことを思うとちょっと興奮してくる。

 今日は陝西(せんせい)歴史博物館まで行ってみることにした。博物館は城壁の外側、街の南に位置する。いつものように地図でバスのルートを探しながら出発。バス亭までてくてく歩く。街中には西洋人らしきひとが多い、やはり観光都市だ。バスに乗ると、必死に地図と照らし合わせながら外の景色を眺める。きれいな中心街からだんだん生活感のある街へと景色が変化する。路線バスなので当然だが、かなりのろのろ運転で、目的地まで予想以上に時間がかかった。急いでいるわけではないのでのんびりバスからの景色を楽しんだ。バスに乗ってただぼんやり街を眺めるのは嫌いではない。タクシーだと速すぎて街の様子を感じることが難しいが、路線バスだと実はちょうど良い。

 陝西歴史博物館はかなり大規模で貴重な文化財を多く収蔵する中国屈指の博物館。展示もまとまっていて分かり易かった。中国の歴史を概観できる。個人的にはどことなくユーモアのある金細工が興味深い。当時の作者は多少でもユーモアを込めて形態を創り出したのだろうか。もし、そうだとすると2000年以上も前の人たちになんとなく親近感をもつ。青銅器展示ではつい春秋時代の越王「勾践」(えつおう こうせん)の剣を探したのだが、やはりここにもなかった。さっさと展示を見終わった妻はミュージアムショップで物色している。実際、ここのショップは充実している。結局妻はパンダのTシャツを購入。悪くないデザインだったが、西安でなぜパンダ?

博物館を出ると、街の中心を目指して適当に歩くことにした。ちょっとしんどかったが、ホテルまで歩ききった。

バス                    4×2=8

博物館                 35×2=70

昼食                         30

Tシャツ                       60

買い物                           8

夕食                         8

宿泊費/日                    343

計                       527RMB(=7905円)

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秦始皇陵、兵馬俑博物館(第35日その2)

 始皇帝の墓である秦始皇陵(しんしこうりょう QinsgihuangLing)は一見単なる小山。とりあえず頂上まで登ってみる。ある中国人が指を指して「あそこに兵馬俑博物館が見える」と教えてくれた。なるほど遠くに体育館のような建物が見える。四周を見渡してしまうと、他にすることもなく降りてきた。ちょっと物足りない気がして、墳丘周囲を案内してくれるカートに乗ってみることにした。簡単な説明をしながらしばらく進むと途中でカートを降ろされた。前方に小屋のようなものがある。意味不明だが、中で一人一人占いをして何かを記した紙を渡される。そして、前へ進み、係りのひとにその紙を渡すと、「あなたにはこれ」・・・・、そういうことか、単にお払いと称して売りつけたいだけのようだ。もちろん「不要(ブーヤオ、いらない)」と答えて終わり。一緒に廻っていた台湾人観光客も「全く、すぐ何かを売りつけようとする!」とこぼしていた。もちろん彼らも購入せず。このカートツアーは完全に期待はずれ。

Qinshihuangling02_2  墳丘だけを見ると、堺市にある仁徳天皇陵と比べて小さい印象を持った。秦始皇陵の墳丘は東西345m、南北350m、高さ52mの四角錐。仁徳天皇陵は長さ486m、方形部の幅305m、円形部の直径245m、高さ35mの前方後円墳。実際は規模的にあまり変わらない。郊外の自然環境のなかに存在する秦始皇陵と普通の街中に唐突にある仁徳天皇陵、周辺環境によって印象が大きく異なる。人間の(僕の?)認識なんていい加減なものだ。ちなみにエジプト最大規模のクフ王ピラミッドは底辺230m、高さ146m(現在138m)。

 墳丘の規模は他の古墳と変わらないとしても秦始皇陵の場合は地下宮殿が存在する。史記の記載によると銅を敷き詰めた上に棺を納めた墓室があり、その中は宝物を散りばめた楼閣や宮殿があるという。更に川を表現して水銀を流したとされる。実際、調査により水銀の存在が確認されて史記の記載の信頼性が高まっている。また、盗掘を防ぐために自動発射の弓矢が仕掛けられているそうだ。まるで、インディー・ジージョーンズの世界だ。始皇帝のスケールの大きさとそのクリエイティビティには舌を巻く。

 さて、次はいよいよ20世紀最大の発見と言われる兵馬俑(へいばよう Binmayong)。兵士や軍馬を等身大で再現した素焼きの副葬品。墳丘の1.5km東にあり、死後の始皇帝を守っている。1974年に井戸を掘っていた農民が偶然見つけたというのはあまりにも有名な話。1,2,3号坑が博物館として公開されているが、現在も発掘作業が続けられている。写真でよく紹介されている兵馬俑がずらっと並んだ1号坑の光景、いつか見たいとあこがれ続けたその光景が今自分の目の前にひろがる。その感動をしばらくかみしめる。圧倒的だ。壮観な景色。

Bingmayong01_2 Bingmayong02_2 Bingmayong07_2 Bingmayong10_2  周囲をぐるっと一周できるようになっている。色々な角度からの眺めを楽しみながらゆっくりと歩く。兵士たちの横顔はなかなか男前。本当に一人一人の顔が違う。やはり実在の兵士をモデルに一つ一つ作ったのだろう。柵を越えてもう少し近づきたい衝動にかられる、・・・もちろんきちんとした日本人とし行動した・・・。発掘した状態のまま破片だらけのところや、それらの組み立て再現作業を行う一角が横に並ぶ。また、何体かはガラスケースに展示してあり、間近で見ることができる。細部の仕事の丁寧さは驚異的。片ひざをついた兵士に特に魅かれた。顔や胴体は言うに及ばず、靴の裏まで細かく表現されている。どこかに飾る芸術作品としてではなく、土の中に埋めてしまうものとしてこれだけのエネルギーをかけてつくられている。現代人の我々の価値観、感覚とは全く違う。

Bingmayong11_2 Bingmayong13_2 Bingmayong14_2 Bingmayong15_2  2号坑では全体が発掘されたバラバラの状態を展示。崩れ落ちた湾曲した幾筋もの梁の跡を見ることができる。つまり、兵馬俑はきちんとした構築物の中に納めた上に土を盛ったということ。3号坑では兵士と軍馬の隊列の様子がよく分かる。真上から見下ろせるようになっていて面白い。その他忠実に再現された銅馬車の1/2の模型を展示室で見ることができる。

 全体としてはやはり一号坑の迫力がいつまでも心に残る。お決まりの観光コースではあるが、ここは来る価値がある。いずれにしても始皇帝恐るべし。

バス                   16×2=32

タクシー                        4

華清池                 70×2=140

秦始皇陵                40×2=80

カート                    8×2=16

兵馬俑博物館            90×2=180

買い物                         32

夕食                         56

宿泊費/日                    343

計                       851RMB(=12765円)

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華清池(第35日)

 西安(せいあん Xian)といえば、何といっても兵馬俑(へいばよう Bingmayong)遺跡。本日の目的地は秦兵馬俑博物館。学生のときに東京の世田谷美術館で兵馬俑展を見て以来、いつか西安に行きたいと思い続けていた。15年来の夢がついに叶う。同じ方向なので兵馬俑の他に花清池(かせいち Huaqingchi)と秦始皇陵(しんしこうりょう QinsgihuangLing)も訪れることにした。

 花清池(かせいち Huaqingchi)は約3000年前の西周代からある温泉地で、唐の玄宗皇帝が747年に造営した離宮、華清宮(かせいきゅう HuaqingGong)が有名。ここで玄宗皇帝と楊貴妃(ようきひ YangGuiFei)の甘い生活が繰り広げられたという。現在の花清池は清代に再建されたものに基づいて整備修築されたものらしいが、敷地内環境はなかなか良い。1982年に御湯遺跡が発掘され、御湯遺跡博物館として整備されている。

Huaqingchi01 Huaqingchi02  博物館の中には皇帝の湯、貴妃の湯、重臣たちの湯などがあり、いずれも床を掘り下げてくぼみをつくった形式で石造り。楊貴妃の専用風呂とされる海棠(かいどう)の湯は意外にも小さくかわいらしい。もっと絢爛豪華なお風呂を想像していた。御湯のくぼみは小さいが、周囲が広い。寂しく落ち着かない気がするが、たぶんそれは庶民の感覚。実際は多勢の御付の者たちに背中を流してもらってにぎやかだったのかもしれない。

 館内には楊貴妃の生涯をあらわした絵物語が展示されている。楊貴妃は世界三大美女の一人、また中国四大美女の一人として知られる。玄宗皇帝の寵愛を一身に受け、当時楊国忠(ようこくちゅう)をはじめ楊一族が権勢をふるった。そのことが安史の乱を引き起こすことになったことから傾国の美女とも呼ばれる。反乱を鎮めるために結局、楊貴妃は死刑に処せられた。政治をおざなりにしたのは皇帝の問題で楊貴妃本人に非があるわけではないので、悲劇といえば悲劇だ。後、白居易(はくきょい)が玄宗皇帝と楊貴妃の物語を題材として「長恨歌(ちょうごんか)」という長編の漢詩を残している。

 また、ここ花清池は現代中国政治史の重大事件の一つ「西安事件」の舞台となったことでも有名。当時の蒋介石の執務室がそのまま残されている。西安事件及び張学良(ちょうがくりょう)の生涯についてもパネル展示で知ることができる。

 西安事件は1936年に国民党指導者の張学良が抗日のために共産党との内戦中止を求めて蒋介石(しょうかいせき)を監禁した事件。共産党の周恩来(しゅうおんらい)の調停で蒋介石は釈放されたが、その蒋介石は釈放されると直ちに張学良を捕らえて禁固刑に処した。国民党が台湾に逃れた際、張学良も連れて行かれ、その後も台湾で軟禁され、1989年まで50年間自由を奪われた。軟禁中にキリスト教に改宗している。釈放後しばらくしてハワイに渡り、2001年にホノルルで亡くなった。100歳の誕生日を迎えた直後という。2001年といえばついこの前ではないか。国民党と共産党との内戦なんて過去の歴史という認識だったが、現代までずっと尾を引いていた事実に愕然とする。国を想ってとった行動のために自由を奪われた半生を送るとは一体どういう心情だろうか。今まで張作霖(ちょうさくりん)の息子という程度の知識しか無かった張学良という人物の人生に思いをはせる。

 次の目的地へ向かうべく門を出ると、一人の西洋人青年が中国人に囲まれて困っている様子。バスを待っている彼をタクシーの運ちゃん達が勧誘しているようだ。彼がいくら「不要(ブーヤォ、いらない)」といっても、引き下がる中国人ではない。やがて、僕らのところにもタクシーの勧誘がやってきた。バスで行くつもりだったが、タクシー代が意外と安いので西洋人の彼を誘って3人一緒に一台のタクシーに乗り込んだ。群がる中国人にどうすることもできず疲れ果てていた彼にとって僕らの誘いが救いの船になった。彼は現在台湾に留学中のアメリカ人。中国語はできるのだが、話すのは得意でないと本人が言う。彼が勉強している中国書物を開いて僕らに見せてくれた。なんと先ほど触れた白居易の「長恨歌」。色んな人がいるものだ。

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西安へ(第34日)

 さて、次の目的地はいよいよあこがれの古都西安(せいあん Xian)。洛陽(らくよう Luoyang)からは今回も長距離バスで向かう。途中の景色はあまり記憶にないので、大したことなかったのだろう。バスは西安の鉄道駅前に着いた。人で溢れかえっている。荷物に気を配りながら、いつものように市内地図を手に入れる。駅の南側には堂々とした姿で城壁が連なる。鉄道駅は城壁のすぐ外側に位置し、城壁内側が町の中心だ。

 地図で確認しつつ、まずはホテルへ向かう。宿泊は、今回もいつものようにe-Longでネット予約してある。今回は、いつもよりちょっとだけホテルをグレードアップ。といっても一泊200元(三千円)が300元代(5千円)になった程度。一般の日本人観光客とは比較にならないくらい安いのではないだろうか。ただ、e-Long(c-tripと並んで中国最大手の航空券やホテル予約ネットワーク)で予約しているため、比較的良いホテルに安く宿泊することができる。ここ西安では街の中心南大街(NanDajie)沿いの王子国際酒店というりっぱなホテル。こんなホテルに安く泊まれてラッキーと思っていたら、問題が一つ。シングルに2人で泊まるという設定になっており、部屋がかなり狭い。さらに、朝食券も一人分のみ。まあ、この値段でこのホテルなら仕方がない。全体としては非常に満足。利便性と治安の問題から僕らは毎回なるべく街の中心に泊まるようにしている。

Xian01  チェックインを済ませると、ホテルの近くを少し散策。かなり大都会の印象をもった。中国の現代都市の象徴、スタバもある。街の中には鐘楼(しょうろう、Zhonglou)と鼓楼(ころう、Gulou)がアクセントとして効いている。夜もライトアップされて街に歴史の彩りを添える。夕食はホテルの中にあるレストランの看板でバイキングの表示を見つけたので、試してみることにした。仕事帰りの会社員らしき人がぞくぞくやって来る。店内はとてもにぎやかで流行っているようだ。食事内容も悪くなく、飲み物(ビール)もバイキングに含まれており、かなり満足。

タクシー                       12

長距離バス(洛陽→西安)     82×2=164

地図                          

夕食                         87

アイス                           4

宿泊費/日                    343

計                       613RMB(=9195円)

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少林寺(第33日)

 今日はちょっと遠出してバスで少林寺へ向かった。マイクロバスだったので長時間は少し身体がしんどい。バスを降りるとだだっ広い駐車場の中、大きな門らしきものが見える。当然のように大規模観光地化された公園のような入口。時代劇作家、金庸(きんよう)の武侠ドラマによく登場する趣のある少林寺総門の姿は見当たらない。ちょっと盛り上がりに欠け、残念。

 少林寺(しょうりんじ ShaolinSi)は中国五岳の一つ嵩山(すうさん SongShan)の西麓に位置する。禅宗発祥の地として有名。中国に渡ったインド僧達磨大師(だるまだいし)がここ嵩山で9年間の座禅修行の末、悟りに達し、527年に禅宗を開いたという。また、少林寺の僧徒が唐の太祖李世民(りせいみん)の天下統一を助けたことにより、少林拳の名が広く知れ渡った。

Shaolinsi01 Shaolinsi02  境内はとてつもなく広い。それぞれの場所への移動(歩き)に時間がかかる。帰りのバスの時間が気になる。なぜかその日は旅のテンションが低かったため、あまり活動的ではなかった。結果的には塔林(とうりん Talin)と呼ばれる歴代僧侶の墓地と少林拳のアトラクションを観るにとどまった。塔林はレンガの塔が林立する面白い景色が広がる。少林拳のアトラクションはちょっと上海雑技団を思わせ、期待外れだった。ちなみに上海雑技団はきらいではない。後から思うと、せめて達磨大師が修行を行ったとされる達磨洞へ行っておけば良かったと後悔している。

 洛陽までの帰りについて中国らしいちょっと面白い経験をした。帰りの路線バスの停留所を探して駐車場をうろうろしていると、怪しいおばさんが声をかけてくる。「洛陽まで帰るのか?」「バスあるよ。」 僕は客引きがとてもきらいで、今回もそのおばさんを無視し続けた。しかし何の拍子か、そのおばさんに3、4回目に遭遇した際に話を聞いてみた。するとある男の人のところへ連れて行かれた。そのおじさんはどうやらツアー観光客の帰りを待つバス運転手のようだ。バスツアーの余っている座席を有効利用して少しでも稼ごうというわけだ。運転手は客を連れてきたおばさんにいくらか渡して、あとは自分の小遣いにするのだろう。うーんこういう所に中国人のたくましさを感じる。値段も法外ではなかったので、その話にのることにした。しばらくしてバスに乗り込み、2人で適当な席に座る。後から続々とツアー客が戻ってくる。我々のせいで皆座る場所が狂ってしまったようだ。「あれーどうして私の席が無いのー?」「前と人が変わっていない?」と文句を言っている女性がいる。僕らはずっと顔を下に向けたまま。結局、どこでも空いている所に座れば良いということで事なきをえた。座席も広く行きと比べてかなり快適な帰り道だった。正直路線バスがどうなっているか分かりにくく、帰りが不安だったので結果的には非常に良かった。教訓:中国の観光地で帰りの交通手段はなんとかなる。

市内バス                       4

長距離バス(洛陽⇔少林寺)          73

少林寺                100×2=200

昼食                         39

夕食                         35

アイス・水                       9

宿泊費/日                    169

計                        529RMB(=7935円)

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龍門石窟、白馬寺(第32日)

 まずは洛陽観光の目玉、龍門石窟(りゅうもんせっくつ LongmenShiku)へ向かう。市内地図を見ると60路と81路のバスに乗れば龍門石窟へ着く。龍門石窟は敦煌(とんこう)の莫高窟(ばっこうくつ)、大同(だいどう)の雲崗石窟(うんこうせっくつ)と並ぶ中国三大石窟の一つ。世界遺産にも登録されている。

 バスを降りて人の流れに従って、てくてく歩くとゲートに辿り着く。入場券を購入してゲートを抜けると、川の両側に岸壁がそびえ立つ壮大な景色が突然現れる。まるで別世界。岸壁には蜂の巣というか蟻の巣というか無数の穴があけられている。近づくと、その一つ一つの中に数えきれない程の石像が彫られている。壁に掘り込まれた無数の仏様。今まで見たこともない光景に圧倒される。言葉が出ない、文句無く第一級の観光地だ。2300以上の石窟と壁龕(へきがん ニッチ)、10万体以上の仏像が東西両岩肌に刻まれている。西山中央に位置する奉先寺(ほうせんじ)の盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)は高さ17mを超える。規模のすごさ、数のすごさ、中身のすごさ、その全てを兼ね備えている。得体の知れないエネルギーが確かにそこにある。かつて無数の信徒がひたすら仏像を彫り続ける姿が目に浮かぶ。洋の東西を問わず、宗教の力というのは計り知れない。宗教の力を借りずにこれだけのものつくり出すことは不可能だろう。

Longmen01 Longmen21 Longmen19  かなり風化したものからはっきりお顔の分かる仏像まで色々だ。ただ、首から上の無い仏像が多いのが気になる。盗掘だろうか。ここ龍門石窟も敦煌の莫高窟も唐代につくられたものが一番多い。唐代が仏教信仰の一番さかんだった時代ということか。ここで一つ疑問が浮かぶ。世界中で現在石窟を造営しているという話を耳にしたことが無いが、ひとはなぜ石窟造営を止めてしまったのだろうか。水面の反射が岩肌にゆらめく様子になぜだか心をとられていた。不自然に開発した観光地が多い中国にあってここは来て良かった。本物の観光地だ。

 バスで再び洛陽の町にもどると、日が暮れる前にとタクシーで白馬寺(はくばじ BaimaSi)へ向かった。白馬寺は中国で最初の仏教寺院といわれる。後漢時代の68年に天竺から仏典を白馬に積んで来た2人の僧侶が開祖とされる。境内を歩いていると、やけに僧侶のかっこうをした人が多いことに気づく。どうやら白馬寺の僧侶ではなく、観光客としての僧侶のようだ。「お坊さんも観光でお寺にやって来るんだ?」と単純に感心した。馬の像の前で記念写真を撮るお坊さんの姿はとても微笑ましい。歴史ある寺院なので当然といえば当然なのだろう。僧侶の間では一度は行ってみたい寺院人気No.1かもしれない。

Baimasi03 Baimasi05 奥の方へ進むと斉雲塔と呼ばれる日本ではあまり見られないレンガの塔がある。金代の1175年創建で13層からなり、優美な曲線を描いて細くなる美しい塔。なぜか塔の前で皆手を叩いている。親切にここに立って手を叩けと教えてくれる人がいる。わけも分からず手を叩いてみた。ちょっと音が響いたような響かないような・・・。後で調べると塔の前20mくらいの所に立って手を叩くと、エコー現象でカエルの鳴き声が聞こえるということらしい。出入口の方へ戻る途中、妻が何かを見つけた。近寄ってみると「狄公仁杰之墓」と刻まれた石碑がある。これは、なんと狄仁傑(てきじんけつ DiRenjie)の墓ではないか、二人してちょっと興奮。裏に回ると別の石碑に「狄梁公墓」と刻まれてある。こちらの方が墓石だろうか。狄仁傑は唐代の名宰相。武則天が特に信頼していたという。実際の狄仁傑がどんな人物だったかよく知らないが、「神探狄仁傑」という時代劇ミステリーの連続TVドラマに夫婦してはまっていた。テレビドラマを見ていると旅行もより楽しくなるものだ。

市内バス                       20

タクシー                        40

龍門石窟                 80×2=160

白馬寺                    35×2=70

昼食                          45

夕食                           33

買い物                         18

宿泊費/日                     169

計                       555RMB(=8325円)

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洛陽へ(第31日)

 長距離バスで開封(かいほう Kaiheng)から洛陽(らくよう Luoyang)へ向かった。洛陽も開封同様、歴史都市として名高い。東周(とうしゅう)、後漢(ごかん)、魏(ぎ)、西晋(せいしん)、北魏(ほくぎ)、隋(ずい)、唐(とう)、後梁(こうりょう)、後唐(こうとう)と9つの王朝が都を置いたことから、九朝古都と呼ばれる。唐代の首都は長安(西安)であったが、高宗(こうそう)と武則天(ぶそくてん)は、副都である洛陽に長期滞在することがしばしばだったという。

 洛陽に着くと、いつものように市内地図を買ってホテルの位置とバス路線を確認する。洛陽での宿泊は事前にe-Longでネット予約したチェーンホテルの如家(ルージア RuJia)。如家はエクセレントではないが、安くて清潔なのでよく利用する。路線バスに乗ると、地図とにらめっこをしながらホテルまでの道をたどる。初めての町ではホテルに辿り着くまでは気が抜けない。中心街を抜けてしばらく西へ向かったところのホテル近くであろう停留所で降りる。幸い、バス亭を降りてからもすんなりホテルを見つけることができた。チェックインを済ませて部屋に入ると、緊張が解けたためか2人して昼寝をした。

 夕方にホテルの近所を散策に出かけた。適度な人ごみと街路樹が整備された町並みが心地良い。街歩きをしていると街路樹のありがたさが身にしみる。中心から少し外れた中国でよくある住宅と小店が混在した地域で、なかなか雰囲気が良い。割と気に入った。途中シンセンでもなじみのある大型チェーン電気店を見つけ、そこでデジカメのメディアを購入。ファミレスのようなところで洋風定食を食べて部屋に戻った。

タクシー                        5

長距離バス(開封→洛陽)      42×2=84

市内バス                        2

SDメモリー                       135

買い物                        58

夕食                          53

宿泊費/日                     169

計                        506RMB(=7590円)

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大相国寺、龍亭公園、包公祠(第30日)

 開封(かいほう、Kaifeng)は歴史都市として名高い。大梁、後梁、後唐、後漢、後周、北宋、金と7つの王朝が都を置いたことから、七朝古都と呼ばれる。北宋時代(960-1126)は100万人を超える世界最大級の都市、東京として栄えた。

 翌日には発つ予定なので、主要な観光スポットを一日で回った。まずは相国寺(そうこくじ XiangguoSi)を訪れる。相国寺は555年(北斉)に建国寺として創建され、712年(唐)の再建時に相国寺と改称された。荒れた時期もあったが、中国十大名寺の一つともされる由緒ある寺院。我が家(京 都)の近所にも相国寺という名前の寺があり、現在は交流もあるようだ。名前も中国の相国寺からとったという説もある。京都の相国寺は金閣寺や銀閣寺を末寺とする相国寺派の本山で、京都五山の一つに数えられる。

Xiangguosi01 Xiangguosi03  ここ開封の相国寺に話を戻す。境内は程良い人ごみで、普通のお寺の雰囲気が心地良い。ツアーの団体さんをあまり見かけなかったのが幸いしたのだろう。ここでの見所は八角堂とも称される羅漢殿(らかんでん)。安置されている千手千眼仏(せんじゅせんがんぶつ)は国内外で有名。高さは7mあり、いちょうの木から彫られた仏像は金箔で覆われている。千本以上ある手の各ひらに目が埋め込まれている。日本の仏像と比べると愛嬌があって親しみやすい。個人的には境内床の美しいパターンに感心していた。

 次に龍亭公園(りゅうていこうえん LongtingGongyuan)へ向かった。ここは歴代王朝の宮廷があった場所。建物はほとんど1949年以降に再建されたもので、公園自体も広いだけで、これといった趣は感じられない。ただ、中で行われていた宋の時代の衣装をまとった役者によるアトラクションはバカバカしく楽しかった。公園内の一角で流れるような口上で“清明上河図”を説明する声に誘われて、わけもわからず絵の縮小版コピーのおみやげものを買ってしまった。5RMB(75円)だから良しとしよう。清明上河図とは北宋末期に描かれた長さ5mに及ぶ絵画で、当時の都の様子を伝える資料として非常に貴重なもの。また、公園の南に延びる宋都御街という通りは宋代の楼閣店舗を再現したそうだが、子供だましでがっかり。

 最後に包公祠(ほうこうし BaogongCi)を訪れた。湖畔に建つこぢんまりとした気持ちの良い場所。包公祠は北宋時代の高官包拯(ばおじょう BaoZheng)を祀って建てられた。包拯は清廉潔白な官吏として民衆から慕われたと言う。公正な役人だったということくらいで後に祀られてしまうなんて、うがった見方をすると、当時の役人の多くは相当ひどかったのだろうか。そういえば、中国の時代劇に弱い住民をいじめる地方役人の姿がよく出てくる。とは言え、日本の時代劇も50歩100歩かもしれない。ここに来るまで知らなかったのだが、この包拯というのは中国の人気ドラマシリーズ「包青天(BaoQingtian)」でおなじみの包大人(BaoDaren)のこと。「包青天」は包拯が公正無私な態度で悪人を裁き、民衆を助けるという勧善懲悪の時代劇。「水戸黄門」や「遠山の金さん」などを想像すればよい。包大人といえば額の三日月の傷がトレードマークだが、ここにある包公の銅像の額はきれいなものだった。ちょっとがっかり。三日月の傷は勝手な演出のようだ。

Kaifeng01 夕方になるとホテルのある鼓楼街(GulouJie)の界隈を散歩した。鼓楼街から北へ上がる本屋がずらりと並ぶ通り書店街(ShudianJie)はなかなか雰囲気もあり、歩いて面白い。宋都御街のようなわざとらしさが無い。

相国寺                 30×2=60

昼食                         22

龍亭公園                ×2=70

包公祠                 20×2=40

バス                         2

ジュース・菓子                  14

清明上河図                     5

夕食                        49

宿泊費/日                   198

計                       460RMB(=6900円)

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開封へ(第29日)

 5月に一度シンセンに戻る用事が無くなったので、そのまま旅行を続けることにした。妻とどこへ行こうかと色々相談しているうちに「ラサまで行っちゃう?」という話になり、旅の最終目的地をチベットのラサに決めた。10年以上昔に何かの本を読んで以来「いつかラサのポタラ宮を見てみたい」と思っていた。ラサまでの道のりは長い。途中どこに寄ろうか。西安(せいあん Xian)は絶対に訪れたい。南京、西安、それなら、歴史都市シリーズとして開封(かいほう Kaifeng)、洛陽(らくよう Luoyang)にでも行ってみよう。

 南京から列車で開封へ向かった。残念ながらこの工程は速くて快適な中国版新幹線は走っていない。南京13時49分発、開封20時39分着、乗車時間は6時間50分になる。ちなみに乗車券は一人87RMB(1305円)と安い。案の定、快適性は求められない。4人掛け向かい合わせのボックス席で、かなり狭い。見知らぬ向かいの人と足がぶつかる。7時間この状態はちょっときつい。僕の隣は小柄な若い男性で、向かいは老夫婦。妻は通路を介した隣のボックス席に座る。

 この狭い席に向かいの老夫婦はよりによって自転車を持ち込んでいる。僕は通路側に足を投げ出せたから良かったが、隣の若者は悲惨。足を大きく折り曲げた状態で縮こまっていた。老夫婦は申し訳なさそうに一所懸命自転車を自分の方へ引き寄せて手で押さえていたが、あまり効果がない。隣の若者は長時間無理な体勢を強いられ続けることになる。が、しかし、いやな顔一つしない。「お互い様なのだから、しょうがない」といった感じで。

 僕らは途中車内販売のお弁当を買ったが、多くの乗客はカップ麺を持ち込んで食べていた。お湯は自由に使えるシステムになっているため、多くの乗客はお茶葉を入れたボトルとカップ麺を持ち込んでいた。その様子を見ているとこっちまでカップ麺が食べたくなってきた。

 最初の2時間くらいは割りとすぐに時間が過ぎた。しかし、それからが長い。この不快な状態での7時間というのは実にしんどい。周りの人たちと仲良くおしゃべりでもしていれば時間が経つのを忘れるのかもしれないが、僕はそこまで社交的にできていない。妻は僕らが日本人だということを周りに悟られるのを気にしているので、妻との会話もあまり弾まない。日が落ちると更に時間が長く感じられる。

 ようやく開封(かいほう Kaifeng)につくと、向かいの老夫婦も立ち上がる。おじいちゃんが自分の荷物と自転車を抱えて歩こうとするが、危なっかしい。見てられず、自転車を持ってあげることにした。話を聞くとどうやらこの自転車は孫へのおみやげらしい。改札を抜けると息子夫婦らしい出迎えが来ていた。彼らに自転車を渡して別れた。夜に知らない町に着くのは気持ちの良いものではない。なんだか全てが怪しく見える。右も左もわからない。とっととタクシーを拾って、ネットで予約をしていたホテルの名前を運転手さんに告げる。

列車(南京→開封)                174

昼食                           40

夕食                           40

タクシー                          6

宿泊費/日                     198

計                        458RMB(=6870円)

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