原美術館

 ちょうど展示替えの休館日に当たるなど過去2度も入口まで来て引き返すという悔しい思いをしたここ原美術館にやっと入ることができた。

 元々実業家原邦造の邸宅として1938年に建てられた洋館を、現代アートを展示する美術館として1979年に開館。建物は東西に長く緩やかな円弧を描いた平面形状をしている。住宅だった頃を想像しながら館内を巡った。建物の南北に庭が広がり、さぞ気持ちよく日々を過ごしていたことだろう。各部屋には印象的な庭の風景を切り取る大きなスチール窓がある。12月だが、思いがけず庭の紅葉も楽しむことができた。半円状の1階のサンルームは、庭に囲まれた素敵な場所。アフタヌーンティーでも楽しんでいた光景を想像する。窓台に腰かけてぼ~と庭を眺めて時間を忘れそうだ。階段の踊り場につながる室内バルコニーから吹抜けのある部屋や3階の小部屋へと続くR階段など、家中遊び心のある楽しい場所も随所に散りばめられている。

 とても残念だが、2020年12月末に閉館予定。それまでに東京へ行く機会があれば、もう一度行ってみよう。

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建築名:原美術館

竣工年:1938

設計者:渡辺仁

所在地:東京都品川区

入館料:1100円

Ca’d’Oro  カ・ドーロ

  ヴェネツィアで一番印象に残っている建物、カ・ドーロは大運河沿いに美しく上品にたたずむ。ヴェネツィアが繁栄を誇っていた15世紀に建てられたヴェネツィアン・ゴシックの好例。装飾に富んだビザンチンやイスラムの影響を示す。典型的なヴェネツィア邸宅は、三階建てが多く、敷地の節約のためであり、水面レベルの一階が、居住用には使えず、倉庫に用いるしかない。二階が主要階となるが、通例は、前側と後側の中央部に大きな窓を設けたグラン・サローネ(大広間)を設けて各室に採光している。

 1,2,3階のそれぞれ異なるアーチがファサードを印象付ける。特に2,3階の腰高の6連アーチは透かし彫りのようで本当に美しい。吹きさらしの1階及び2.3階バルコニーでは現代アートが展示されていた。非常に建物にマッチしており、イタリア人のセンスの良さに感服する。特に3階バルコニーのインスタレーションは素晴らしかった。Verhoeven Twinsによる“Moment of Happiness”という作品で、天井からガラスでできた泡の彫刻がいくつも吊るされていた。その泡には、美しい建物のアーチや運河の街の景色が映りこんでいる。美しい屋外階段とバルトロメオ・ボンによって装飾を施された井戸のある一階中庭空間も必見。

 カ・ドーロは元々行政官も務めたマリーノ・コンタリーニの邸宅で、当初は金箔で装飾されたファサードが輝いていたことから黄金宮殿(カ・ドーロ)と呼ばれた。1894年にアート・コレクターのGiorgio Franchettiが購入修復し、現在フランケティ美術館となっている。

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正倉院

 想像していたより大きく圧倒的な存在感を発する建築物。直系60㎝の束柱40本で持ち上げられた高床式倉庫で、間口33m、奥行9.4m、総高14m、床下2.7m。北倉、中倉、南倉の3つの倉庫で構成され、本瓦葺き寄棟造の屋根で覆われた堂々たる姿をしている。軒の出は4mほどある。北倉と南倉は、三角材(校木)を井桁に組み上げた校倉造りで、中倉は正面と背面に厚い板をはめた板倉造り。見ることはできないが、内部は2階になっている。束柱の上に渡された台輪が1.8m外へ張り出しており、特徴的な意匠をつくっている。柱に巻いた鉄帯や、台輪の端部にかぶせた銅板は、後世の修理時に加えられたもの。

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 正倉院は1200年以上にわたって東大寺ゆかりの宝物を保管してきた。端正で力強い外観から、“宝物を保管する”ということだけをひたすら考えた当時の人たちの思いを感じる。迷いがない。この建物には地面から扉へアクセスする階段すら存在しない。

 平日の10時から15時まで無料で一般公開している。少し離れた正面からだけしか見ることができないのがちょっと残念。

建築名:正倉院正倉

竣工年:8世紀(奈良時代)

所在地:奈良県奈良市

拝観料:無料

参照文献:正倉院パンフレット、日本建築の形Ⅰ/斎藤裕

庫裏内住宅のリノベーション

 201712月に竣工した庫裏内住宅のリノベーションについて説明したいと思う。

 築40-50年のお寺の庫裏内に以前改装して設けたLDK及び玄関スペースを再度改装して快適な生活空間に生まれ変わらせるというもの。解決すべき問題点は以下3点。①暗い ②寒い ③モノが溢れる。

 ①は唯一の採光面である北側隣地境界の塀が迫っていることが原因。これに対してはハイサイドライト(高窓)を設けて上部からの採光を確保した。また塀を白く塗装することにより反射光を室内に取り入れる工夫もしている。②は古い木造建物に共通の断熱性と気密性の不足による。そもそもこの建物は庫裏なので玄関エリアには煙出しが設けられており、直接外気と繋がっている。このおかげで夏場は涼しく過ごすことができるが、冬場はかなり寒い。そこで冬場暖かく過ごせる場所をLDKに絞ることにした。LDKの床、壁、天井に断熱材を充填し、窓ガラスは全て複層とした。木製扉にも断熱材を充填している。また、断熱性能に優れたポリカーボネートで間仕切壁を構成することにより玄関エリアへの採光も同時に確保している。③については御施主様にモノの整理をしてもらうことが前提だが、収納できるスペースをあちらこちらに設けている。玄関倉庫と下足入れの他、収納棚板設置箇所が6ヶ所。更にキッチン背面収納、吊戸棚、床下収納を設けている。

 その他デッキを敷くことにより狭い屋外隙間空間を積極的に生活にとりいれる工夫をしている。このデッキスペースが将来子どもの遊び場になることも期待している。ちょっとした遊び心で、御施主さんが飼育されている熱帯魚がきれいに見えるように水槽に合わせて大工さんに枠を作ってもらったりもした。

 工務店さんもいい仕事をしてくれ、お施主さんご家族にも喜んで頂き、楽しく仕事をすることができた。

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http://www.office-nagasaki.com/ja/works/c0/22/1

京大立て看板強制撤去について

 京都大学が吉田キャンパスの周囲に並んだ立て看板を強制撤去した。景観条例に違反するとして京都市から指導をうけてのことのようだ。表現の自由VS景観という構図で議論されるが、僕は純粋に景観の問題だと捉える。

 果たして立て看板がなくなって景観が向上したのだろうか。ただ、淋しい通りになってしまっただけではないのだろうか。実際に現場で立て看板がある場合とない場合のどちらが景観上好ましいかを検証した上での決定なのだろうか。それとも、規制の条項とただ照らし合わせただけなのだろうか。景観をよくすることが大事なのか、それとも条文を守ることが重要なのか。容易に陥りやすい落とし穴があるように思える。本末転倒だけは避けなければならない。

 そもそも良い景観とは何だろうか。とても難しい繊細な問題だと思う。建物や塀などの人工物の景観を考える場合、まず2つの対策が思い浮かぶ。一つは、周囲と調和させること。もう一つは素材を吟味して形や色を整え美しくすること。調和とは?美しさとは?どちらも簡単な答えがあるわけではない。少なくとも条例の文言だけでそれを解決できるとは到底思われない。

 景観を考える上で前述の2点の他にもう一つ考えなければならないことがあると思う。広辞苑の景観の蘭を読むと「自然と人間界のことが入りまじっている現実のさま」とある。また京都市発行の冊子『京都の景観』の中に「京都の景観は、自然や時の流れとともに人の営みや暮らしによりかたちづくられてきました」という記載がある。そう、景観には我々人間が欠かせない。町並みに人々の活動や個性がにじみ出ると魅力的な景観が形成されると思う。露地裏の植木鉢、ベランダの布団干し、道路にはみ出た八百屋のダンボール箱、道路に張りだしたカフェテラス、どれもがとても魅力的。場合によってはルールからちょっとはみ出しているかもしれないが、それらを全て厳密に取り締まっては町の魅力や活力が半減する。ルールを少し緩くするという知恵を働かせることもできる。ただきれいな建物が整然と並んだよそよそしい町には何の魅力も感じない。「死んだ景観」と呼べるかもしれない。吉田キャンパスの立て看板は京大生の活動や個性が街ににじみ出たものだと思う。これこそが守るべき景観とは考えることができないのだろうか。

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