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北宋汝窯青磁水仙盆(ほくそうじょようせいじすいせんぼん)

台湾の故宮博物院から来ている北宋汝窯青磁水仙盆を見に大阪中之島の東洋陶磁美術館へ行ってきた。

美術館のチラシによると、「中国北宋時代(960-1127年)に宮廷用の青磁を焼成した汝窯は、〈天青(てんせい)〉とも形容される淡い青色系の典雅な釉色を追求しました。その神々しいまでに美しい色合いと質感、そして端正で上品な造形は、やきものの一つの究極の姿を示しています。」とある。

故宮博物院から4点、東洋陶磁美術館所有のものが1点、計5点の汝窯青磁水仙盆が一堂に会している。いずれもきめ細やかで本当に美しい色と質感。確か上記チラシの言葉通りだ。

清の時代に汝窯青磁を再現させるべく皇帝が景徳鎮でつくらせたと言われる「倣汝窯青磁水仙盆」も同時展示されていた。しかし、明らかに他の5点より劣る。赤ちゃんの肌と大人の肌くらいの違いがある。質感も汝窯青磁と比べると味わいに欠ける。当時の最高技術を駆使したはず。にもかかわらずこの違いは何だろう。

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中でも“人類史上最高のやきもの”といううたい文句の「青磁無紋水仙盆」は本当に光っている。ここだけ照明の当て方が違うのではないかと疑ったくらいだ。きめの細やかさに加えて青の魅力が圧倒的。これと比べると他4点は少しくすんでいる。この展示台の前で長時間足が止まっていたのは僕だけではなかった。

銀閣寺

 銀閣寺は臨済宗相国寺派に属する禅寺で、正しくは東山慈照寺という。室町幕府八代将軍足利義政が、隠栖生活を過ごすために1482年から山荘東山殿の造営を始めた。1490年の義政の没後、禅寺に改められた。

 観音殿(銀閣)と東求堂の二棟のみ当時の姿を今に伝える。ひときわ印象に残る白砂の銀沙灘と向月台も江戸後期以降に今の形となった。月に一度数人の庭師で数時間かけて作り直しているそうだ。あいにく曇りだったが、天気の良い日には白川砂が太陽や月の明かりに反射してきらきら光る。月夜を想像してみる、なんと風流で幻想的な風景だろう。メインの観音殿は、一層は書院風、二層は唐様仏殿風の楼閣建築。東から池を手前に眺めると確かに美しいが、方丈側から眺めると不安定に感じる。一層の南東部が吹き放しとなっているせいだ。方丈も江戸中期の建造なので、こちら側から観音殿を眺めることは、あまり想定されていなかったのかもしれない。

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 東求堂は6.9m四方の入母屋造り檜皮葺の持仏堂。書院造の現存最古の遺構とされる。今回の特別拝観で初めて中に入る。内部は田の字型プランで4室から構成される。南にメインの仏間、その東側に長四畳、その北に四畳半の同仁斎、北西に六畳間。東求堂と言えば同仁斎が有名だが、仏間も実にいい。大きな4枚の床材も500年以上の時を経ている。天井は折上小組格天井で、白い天井と組子とのコントラストが鮮やかで繊細な美しさが際立つ。

 

床は畳が敷き詰められ、北側に付書院と違い棚を設えた同仁斎は、草庵茶室、四畳半間取りの始まりといわれている。床の間、違い棚、付書院の三点セットよりもこのように付書院と違い棚だけの方がすっきりして個人的には好みだ。付書院から北側採光なので均質に光が入り、障子を開けると庭の景色が一幅の掛け軸のようにも見える。

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 実は銀閣寺の一番好きなところは、庭の美しい苔。さすが、義政公が苔寺(西芳寺)に倣ったと言われるだけのことはある。

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建築名:銀閣寺

竣工年:1490

所在地:京都市左京区銀閣寺2

拝観料:500円、特別拝観別途1000

 

上海輝文生物竣工式

8月26日に上海輝文生物さんの新工場竣工式に参列してきました。駱社長の人柄のおかげで、地元の人はもちろん、日本からも多くの人がお祝いに駆けつけ、とても盛り上がりました。私は事務所と宿舎の内装設計をやらせて頂いています。「設計突出貢献賞」なんてものまで頂き式典で表彰されてちょっと気恥ずかしかったですが、喜んで頂きとてもうれしいです。

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ありがたいことに二期工事の建築設計もやらせて頂く予定です。式典会場に我々が提案した二期工事にCGも垂幕に印刷してありました。これから二期の設計頑張ります!

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圓徳院

圓徳院、京都高台寺の塔頭寺院の一つ。豊臣秀吉の妻北政所が余生を過ごした「ねね終焉の地」として知られる。1605年、伏見城の化粧御殿とその前庭を移築したことに始まる。

長屋門をくぐると「圓徳」の扁額の掛かった唐門が現れ、奥にアプローチ空間が続く。

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方丈へ上がると簡素で気持ちの良い南庭が広がる。書院へとつながる渡り廊下からはねねの小道を見下ろす。屋根と屋根の間の細い路地空間、中国江南地方の水郷の街でも見たようなとても好きな景色。

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渡り廊下を抜けると目当ての北庭と書院へとたどり着く。東と北が開け放たれたとても心地よい場所。残念ながら化粧御殿は消失したが、北庭は伏見城から移築した当時の原型を留めている。石組の名手賢庭作で小堀遠州が手を加えたとされる。白砂の奥に無数の石組が構成され、そこに新緑のきらきらとした楓の枝葉が覆いかぶさる。石の多さもそうだが、全体構成もあまり見たことがない庭園。どうやら池泉回遊式なのに水が無い枯山水になっているので不思議な感じがしたようだ。もともと伏見城では水が張られていたそうだ。良いなーと感じる庭園はどれも奥行感がある。この庭も然り。室内奥から眺めると特に美しい。
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建築名:圓徳院

竣工年:1605

所在地:京都市東山区高台寺下河原町530

拝観料:500

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浄土時浄土堂

目的地に近づくと、普通の町中の小高い丘の上に鎮座する浄土堂がさらっと現れる。山の中や周囲を樹木で覆われる境内を勝手にイメージしていたので不思議な景色に映った。

浄土寺浄土堂は鎌倉時代初期に重源(ちょうげん)上人により建てられた。宋代の技術を取り入れた大仏様(天竺様)と呼ばれる工法でつくられている。現存する大仏様建築としては、他に奈良東大寺の南大門があるのみ。

浄土堂は三間×三間の正方形平面をした、単層宝形屋根を持つ極めてシンプルな建物。屋根の反りもほとんどなく、軒先には鼻隠し板が付く。シンプルすぎて物足りない外観。貧相にさえ見える。特に遠くから眺めると今一つに感じる。日本人の美意識に合わず、普及しなかったのかもしれない。各立面に柱が4本しか現れず、しかもスパンが大きく飛んでいるということも外観の寂しさを助長する。実はこの大きなスパンが浄土寺浄土堂の最大の特徴と言える。一間が6m、これは一般的な寺院建築の約二倍。建物の中に入るとよりその特徴を感じることができる。

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大きい。こんなに広々として明るいお堂は経験したことがない。とても現代建築に近い空間だ。これだけの大空間に四天柱と呼ばれる柱が4本あるのみ。4本の柱はさすがに太い。この四天柱の存在感が内部空間を支配する。天井を張っていないので柱は屋根まで一直線に伸びる。四天柱の内側には、快慶作の高さ5.3mの阿弥陀三尊立像が安置されており、外側へは、三方へ三段、つまり一本の柱から九本もの虹梁(こうりょう)と呼ばれる梁が伸びる。力強いダイナミックな空間だ。しかも各材が朱色に塗られているため、より印象も強い。この朱色が内部空間の演出をより強烈にする。

西側一面は格子蔀戸となっており、夏至の頃の夕方に内部空間いっぱいに夕日が射し込む光景がよく知られている。夕日を背に浮かび上がる阿弥陀三尊様の来迎の姿は誰もが息を飲むという。残念ながら時期が合わず、そのお姿を拝むことはできなかった。しかし、床面に大きく射し込む格子模様の夕陽とその反射光が柱や梁や組物、そして阿弥陀三尊像を照らして美しい影とのコントラストをつくりだす光景を目にすることができた。

建築名:浄土寺浄土堂

竣工年:1197

所在地:兵庫県小野市浄谷町2094

拝観料:500

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