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2007.5.14 泰伯廟、薛福成旧居(第20日)

 無錫第一日目、友人宅奥さんと僕ら3人でまず泰伯廟(たいはくびょう)へ向かった。史記によると泰伯(たいはく、タイボー)は呉の国の祖とされている。泰伯は周王朝初代武王(ぶおう)の曽祖父である古公亶父(ここうたんぼ)の長男。末子の季歴に後を継がせるために泰伯は次男の虞仲(ぐちゅう)と共に国を去り、未開の地にやってきた。文明の全く無いこの場所に勾呉(こうご、ゴウウ)という国をつくり、人々を指導した。これが後の春秋時代の呉の国となる。

 泰伯廟(たいはくびょう)は泰伯が住んでいたと伝えられる場所に建つ。こぢんまりとした廟の中にカラフルで人形のような泰伯象が祭られてある。その他歴代呉王の像が並んでいる。最後になじみのある闔閭(こうりょ)と夫差(ふさ、フーチャイ)に行き着く。

 故事 “臥薪嘗胆(がしんしょうたん)”の夫差は、泰伯がせっかくつくった国を滅ぼしてしまったということになる。僕の中の勝手なイメージだが、2人の人物像として、「タイボーさん」と親しみを込めて呼びたくなる人格者の泰伯と世間知らずのおぼっちゃま夫差王が頭の中に浮ぶ。

 廟の中にある泰伯象はかわいらしく、あまり趣は感じられなかったが、この場所では思いの外楽しい時間を過ごした。全く知らなかった泰伯という人物、呉の国の地理や起源に触れることができた。その地の歴史を垣間見る、これが旅行の醍醐味の一つなのだろう。

 友人夫婦が夕食に清代の邸宅の一部をレストランとした薛福成(シュエ・フーチェン)旧居へ連れて来てくれた。薛福成は清末の外交官で思想家。少し早めに来て、中の展示や建物、中庭などをゆっくり見てまわった。まず、規模の大きさに驚く。敷地面積21,000㎡、建物床面積6,000㎡になる。南潯(ナンシュン)の大富豪の邸宅と同じかそれ以上だろうか。南潯の大富豪は商人なので理解できるが、薛福成は単なる官僚だ。官僚の収入でこんな大邸宅を建てることができたのだろうか。

Wuxi10Wuxi32Wuxi33 実際当時の法律によると、本当はこんな大邸宅を建てることは許されなかったようだ。説明によると清の官僚は位によって住宅の間口が決められていた。「二品以上の官吏の住宅庁堂(ホール空間)の間口は5間を越えてはならない」との決まりに対して薛福成邸は間口が9間ある。ここで面白いのは、万一役所からの指摘に備えて薛福成は小細工をしている。「9間ではなく3間のホールが3つあるのです。」と言えるように建物を分けたのだ。よく見ると柱2本並んでいる箇所がある。薛福成は歴史的にはかなり実績を残した人物であるが、官僚というものはいつの時代も、どこの国でもくだらないことに頭とエネルギーを使うものだ。

 入口から真っ直ぐ進むと、建物と中庭を交互に現れる典型的な清代江南地方大邸宅の構成になっている。また、手すりなどに洋風意匠もとり入れられている。非常に見ごたえのある場所だ。暗くなると提灯に火がともり、さらに趣を増す。友人夫婦のおかげで、すばらしい夕食のひと時を過ごすことができた。

泰伯廟入場料    10×2=20

昼食                            6

薛福成故居入場料 25×2=50

夕食                           200

タクシー                          25

買い物                          18

計                        373RMB (=5595

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