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2007.5.17 太湖、蠡園(第23日)

 無錫(むしゃく)に来て太湖(たいこ)に行かないわけにはいかない、ということで黿頭渚公園(げんとうしょこうえん)を訪れた。スッポンの頭の形に似ていることから、こう呼ばれている。広い太湖の中でも特に美しい風景とされているそうだ。例の如くここも「景区」と称して中を整備して囲い、入場料を払うシステムになっている。ただ太湖を眺めに来るということができない。

 とにかく太湖の水が汚い!抹茶の粉のようなものが湖面を覆っており、見た目もひどく、においもする。風景を楽しむどころではない。わざわざ高い入場料を払って気分を悪くしにいったようなものだ。お決まりとして無錫旅情の碑を拝む。日本語歌詞を直訳した分かり易い中国語訳が彫ってあり、ちょっと面白かった。

 帰りに蠡園(リーユエン)という范蠡(はんれい)ゆかりの地を訪れた。范蠡はここで中国四大美人のひとり西施(せいし)と隠棲したという伝説が残っている。

 范蠡は春秋時代越王「勾践」(えつおう こうせん)に仕えた名軍師。呉の国を滅ぼし、勾践に復讐を遂げさせた立役者。しかし、得意絶頂の君主のそばにいるのは危険として越の国を去った。後、もう一人の名臣文種(ウェン ジョン)へ宛てた手紙にも「勾践について苦難を共にできるが、歓楽はともにできない人相」と書いている。実際、越に残った文種は勾践に剣を賜り、自殺させられている。

 范蠡の面白いところはその後の人生。まず斉の国で鴟夷子皮(しいしひ)と名乗って商売を行い、巨万の富を築いた。名が知れ渡り、斉の宰相に迎えられると、財産を他人に分け与えて斉の国を去る。今度は宋の国の陶の地で陶朱公(とうしゅこう)と名乗って商売をはじめた。ここでも成功して巨万の富を築いた。その間に2度も自分の財産を全て散じて貧しい人々に分け与えたと言われている。陶朱公の名は後世には大商人の代名詞になった。

 范蠡の活躍と共にみごとな出処進退は人々の人生の目標として語り継がれている。

 ただ、蠡園自体は訪れる価値がある場所とはちょっと思えない。

市内バス            14

黿頭渚公園                      210

蠡園           80

水                             3

コーヒー                         64

夕食                           46

計                        417RMB (=6155円)

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