« 2007.5.21 美齢宮(第27日) | トップページ | 2007.5.23 開封へ(第29日) »

2007.5.22 太平天国歴史博物館(第28日)

 南京市は江蘇省(こうそしょう)の省都で、古くから江南地方の中心地。人口は2007年時点で740万人にも上る。北京、西安、洛陽と並び中国4大古都のひとつとして歴史は古い。紀元前472年に越王「勾践」(えつおう こうせんGouJian)が城を築いたのが始まりという。3世紀以降は、東呉、東晋、宋、斉、梁、陳、南唐、明と数多くの王朝の都が置かれた。

 南京と言ってまず思い浮かぶのは“南京大虐殺”。そこで、日本の残虐行為を後世に伝えるための施設、“侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館”という長い名前の博物館へ向かった。途中“莫愁湖(ばくしゅうこ)”と呼ばれる湖の横を通ったが、囲われているため入場料を支払わないと景色を楽しむこともできない。なんら町の環境に貢献することなく観光地として区画されてしまっている。観光地とそれ以外を完全に区切ってしまうこの中国の習慣なんとかならないものだろうか。地図を片手に博物館を目指してかなり歩き回ったが、なかなか見つからない。他都市と同様で工事中の場所が多くて参る。非常に歩きにくいし、道も分かりにくい。待てよ、この延々と続く仮囲い・・・あらっ博物館自体が工事中ではないか。かなりの規模拡張するようだ。苦労して歩き回ったのが無駄骨。どっと疲れた。北京オリンピックに合わせての改築だろう。

 さて、困った。他に行くところを決めていない。結局、一日目に行った夫子廟(ふうしびょう FuziMiao)周辺の繁華街へ再び行くことにした。瞻園(せんえん)という古典園林のある屋敷に入った。ここは元々朱元璋(しゅげんしょうZhuYuanzhang)が明朝を起こすのに大きく貢献した将軍、徐達(じょたつXuDa)の邸宅。江南の園林は蘇州(そしゅう)で既におなかいっぱい観たので、ここでは隣の太平天国歴史博物館をじっくり見学した。

 かなり充実した展示内容で、当時の状況が伝わってくる。 “太平天国の乱”というと江戸時代の“大塩平八郎の乱”と似たようなものかなといういい加減なイメージしか持っていなかった。しかしながら、大塩の乱はたった半日で鎮圧されたのに対し、太平天国は1851年から64年までの10年以上に渡って続いた。清朝という大国の中に“太平天国”という独立国家が確かに存在したのだ。実際に独自通貨を流通させ、独自政策の実現により経済的発展も遂げた様子が展示で分かる。太平天国は指導者である洪秀全(こうしゅうぜん)が科挙に何度も落第した後、キリスト教の影響を受けた宗教団体を組織したのが始まり。民族独立、土地の均分、男女平等、租税軽減などを掲げ、理想国家を目指した。これは後の中国革命に影響を与えたという。展示を追っていくと、民衆の立場に立った理想国家の実現のために立ち上がった指導者たちがだんだん腐敗し、内紛していく様子が示されている。いつの間にか自分たちが最も嫌った民衆を省みない腐敗役人と同類になり下がるという皮肉な結果に陥った。権力を持った後も理想を追い続けることの難しさ、人間の弱さを暗示している。最後に著名人による太平天国に対する総括が展示してあるのも面白い。

市内バス・地下鉄     16

瞻園・太平天国歴史博物館入場料       30

夕食                         68

ジュース・パン                   20

コーヒー                       69

ネット使用料                    45

宿泊費/日                    224

計                       472RMB(=7080円)

« 2007.5.21 美齢宮(第27日) | トップページ | 2007.5.23 開封へ(第29日) »

中国」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。