2007.5.24 大相国寺、龍亭公園、包公祠(第30日)
開封(かいほう、Kaifeng)は歴史都市として名高い。大梁、後梁、後唐、後漢、後周、北宋、金と7つの王朝が都を置いたことから、七朝古都と呼ばれる。北宋時代(960-1126)は100万人を超える世界最大級の都市、東京として栄えた。
翌日には発つ予定なので、主要な観光スポットを一日で回った。まずは相国寺(そうこくじ XiangguoSi)を訪れる。相国寺は555年(北斉)に建国寺として創建され、712年(唐)の再建時に相国寺と改称された。荒れた時期もあったが、中国十大名寺の一つともされる由緒ある寺院。我が家(京 都)の近所にも相国寺という名前の寺があり、現在は交流もあるようだ。名前も中国の相国寺からとったという説もある。京都の相国寺は金閣寺や銀閣寺を末寺とする相国寺派の本山で、京都五山の一つに数えられる。
ここ開封の相国寺に話を戻す。境内は程良い人ごみで、普通のお寺の雰囲気が心地良い。ツアーの団体さんをあまり見かけなかったのが幸いしたのだろう。ここでの見所は八角堂とも称される羅漢殿(らかんでん)。安置されている千手千眼仏(せんじゅせんがんぶつ)は国内外で有名。高さは7mあり、いちょうの木から彫られた仏像は金箔で覆われている。千本以上ある手の各ひらに目が埋め込まれている。日本の仏像と比べると愛嬌があって親しみやすい。個人的には境内床の美しいパターンに感心していた。
次に龍亭公園(りゅうていこうえん LongtingGongyuan)へ向かった。ここは歴代王朝の宮廷があった場所。建物はほとんど1949年以降に再建されたもので、公園自体も広いだけで、これといった趣は感じられない。ただ、中で行われていた宋の時代の衣装をまとった役者によるアトラクションはバカバカしく楽しかった。公園内の一角で流れるような口上で“清明上河図”を説明する声に誘われて、わけもわからず絵の縮小版コピーのおみやげものを買ってしまった。5RMB(75円)だから良しとしよう。清明上河図とは北宋末期に描かれた長さ5mに及ぶ絵画で、当時の都の様子を伝える資料として非常に貴重なもの。また、公園の南に延びる宋都御街という通りは宋代の楼閣店舗を再現したそうだが、子供だましでがっかり。
最後に包公祠(ほうこうし BaogongCi)を訪れた。湖畔に建つこぢんまりとした気持ちの良い場所。包公祠は北宋時代の高官包拯(ばおじょう BaoZheng)を祀って建てられた。包拯は清廉潔白な官吏として民衆から慕われたと言う。公正な役人だったということくらいで後に祀られてしまうなんて、うがった見方をすると、当時の役人の多くは相当ひどかったのだろうか。そういえば、中国の時代劇に弱い住民をいじめる地方役人の姿がよく出てくる。とは言え、日本の時代劇も50歩100歩かもしれない。ここに来るまで知らなかったのだが、この包拯というのは中国の人気ドラマシリーズ「包青天(BaoQingtian)」でおなじみの包大人(BaoDaren)のこと。「包青天」は包拯が公正無私な態度で悪人を裁き、民衆を助けるという勧善懲悪の時代劇。「水戸黄門」や「遠山の金さん」などを想像すればよい。包大人といえば額の三日月の傷がトレードマークだが、ここにある包公の銅像の額はきれいなものだった。ちょっとがっかり。三日月の傷は勝手な演出のようだ。
夕方になるとホテルのある鼓楼街(GulouJie)の界隈を散歩した。鼓楼街から北へ上がる本屋がずらりと並ぶ通り書店街(ShudianJie)はなかなか雰囲気もあり、歩いて面白い。宋都御街のようなわざとらしさが無い。
相国寺 30×2=60
昼食 22
龍亭公園 35×2=70
包公祠 20×2=40
バス 2
ジュース・菓子 14
清明上河図 5
夕食 49
宿泊費/日 198
計 460RMB(=6900円)
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