2007.5.26 龍門石窟、白馬寺(第32日)
まずは洛陽観光の目玉、龍門石窟(りゅうもんせっくつ LongmenShiku)へ向かう。市内地図を見ると60路と81路のバスに乗れば龍門石窟へ着く。龍門石窟は敦煌(とんこう)の莫高窟(ばっこうくつ)、大同(だいどう)の雲崗石窟(うんこうせっくつ)と並ぶ中国三大石窟の一つ。世界遺産にも登録されている。
バスを降りて人の流れに従って、てくてく歩くとゲートに辿り着く。入場券を購入してゲートを抜けると、川の両側に岸壁がそびえ立つ壮大な景色が突然現れる。まるで別世界。岸壁には蜂の巣というか蟻の巣というか無数の穴があけられている。近づくと、その一つ一つの中に数えきれない程の石像が彫られている。壁に掘り込まれた無数の仏様。今まで見たこともない光景に圧倒される。言葉が出ない、文句無く第一級の観光地だ。2300以上の石窟と壁龕(へきがん ニッチ)、10万体以上の仏像が東西両岩肌に刻まれている。西山中央に位置する奉先寺(ほうせんじ)の盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)は高さ17mを超える。規模のすごさ、数のすごさ、中身のすごさ、その全てを兼ね備えている。得体の知れないエネルギーが確かにそこにある。かつて無数の信徒がひたすら仏像を彫り続ける姿が目に浮かぶ。洋の東西を問わず、宗教の力というのは計り知れない。宗教の力を借りずにこれだけのものつくり出すことは不可能だろう。
かなり風化したものからはっきりお顔の分かる仏像まで色々だ。ただ、首から上の無い仏像が多いのが気になる。盗掘だろうか。ここ龍門石窟も敦煌の莫高窟も唐代につくられたものが一番多い。唐代が仏教信仰の一番さかんだった時代ということか。ここで一つ疑問が浮かぶ。世界中で現在石窟を造営しているという話を耳にしたことが無いが、ひとはなぜ石窟造営を止めてしまったのだろうか。水面の反射が岩肌にゆらめく様子になぜだか心をとられていた。不自然に開発した観光地が多い中国にあってここは来て良かった。本物の観光地だ。
バスで再び洛陽の町にもどると、日が暮れる前にとタクシーで白馬寺(はくばじ BaimaSi)へ向かった。白馬寺は中国で最初の仏教寺院といわれる。後漢時代の68年に天竺から仏典を白馬に積んで来た2人の僧侶が開祖とされる。境内を歩いていると、やけに僧侶のかっこうをした人が多いことに気づく。どうやら白馬寺の僧侶ではなく、観光客としての僧侶のようだ。「お坊さんも観光でお寺にやって来るんだ?」と単純に感心した。馬の像の前で記念写真を撮るお坊さんの姿はとても微笑ましい。歴史ある寺院なので当然といえば当然なのだろう。僧侶の間では一度は行ってみたい寺院人気No.1かもしれない。
奥の方へ進むと斉雲塔と呼ばれる日本ではあまり見られないレンガの塔がある。金代の1175年創建で13層からなり、優美な曲線を描いて細くなる美しい塔。なぜか塔の前で皆手を叩いている。親切にここに立って手を叩けと教えてくれる人がいる。わけも分からず手を叩いてみた。ちょっと音が響いたような響かないような・・・。後で調べると塔の前20mくらいの所に立って手を叩くと、エコー現象でカエルの鳴き声が聞こえるということらしい。出入口の方へ戻る途中、妻が何かを見つけた。近寄ってみると「狄公仁杰之墓」と刻まれた石碑がある。これは、なんと狄仁傑(てきじんけつ DiRenjie)の墓ではないか、二人してちょっと興奮。裏に回ると別の石碑に「狄梁公墓」と刻まれてある。こちらの方が墓石だろうか。狄仁傑は唐代の名宰相。武則天が特に信頼していたという。実際の狄仁傑がどんな人物だったかよく知らないが、「神探狄仁傑」という時代劇ミステリーの連続TVドラマに夫婦してはまっていた。テレビドラマを見ていると旅行もより楽しくなるものだ。
市内バス 20
タクシー 40
龍門石窟 80×2=160
白馬寺 35×2=70
昼食 45
夕食 33
買い物 18
宿泊費/日 169
計 555RMB(=8325円)
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