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環秀山荘、留園、盤門(第17日)

 「環秀山荘(フアンシウシャンジュアン)」は地球の歩き方(’06-’07)には載っていないが世界文化遺産にも登録されている庭園。景徳路(ジンデァールー)という大通りに面しているが、企業の敷地内だったので辿り着くのに苦労した。なかなか見つからず途中イライラして妻との会話が無くなり、一時険悪な雰囲気が続いた。何とかたどり着けて本当に良かった。

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 比較的小規模だが、いやかえって小規模だから庭園全体の雰囲気を感じとることができた気がする。建物と築山と池といった全体の構成というか関係性がとても気持ちよかった。緻密に計算されて造られたのだろう。「獅子林(シーズリン)」のように築山の中を探検して頂上に到達すると、そのまま横の建物の上階へと入ることができる。庭と建物が独立しているのではなく、お互いに3次元的に日常として繋がっている。当時のひと達も建物と庭を自然に行き来して楽しんでいたのだろう。例えば屋内にいる一人が庭を歩いているもう一人と会話をしている姿なんかを想像する。時代劇に出てきそうな秀才の兄とちょっとお転婆な妹との楽しげな会話シーンなんかを頭に浮かべた。

 昼食後は最後の蘇州四大名園の一つ「留園(りゅうえん)」を訪れた。もともと明代に個人庭園としてつくられ、東園と呼ばれた。 清の嘉慶年間に改修されて園主の姓にちなんで劉園と呼ばれ、さらに光緒年間に改築されて現在の留園に改名された。蘇州の各名園の長所を取り入れているとのこと。4つの部分に分かれており、それぞれ建築、山水、山林、田園の趣を持つ。清代の様式を伝えているこの庭園は四大名園のなかでは一番日本人の感覚に合うのではないだろうか。巧みな構成によるのだろう、変化に富んだ景観が歩いていて楽しい。自然に「良い庭園だな」と感じた。透かし窓を通してジグザグの回廊が見える、蛇か龍を想像させる塀の意匠など遊び心が満載だ。床にもカエルやツルのような具象パターンを見つけることができる。当時の衣装をまとったひとが楽器演奏をしてくれるにくい演出もある。蘇州で訪れた多くの庭園のなかでもこの「環秀山荘(フアンシウシャンジュアン)」と「留園(りゅうえん)」が特に気品高い気がする。当時の知識人の心意気のようなものを感じる。

Liuyuan02_2 Liuyuan07 Liuyuan10

 夕方時間が余ったので盤門(ばんもん)という観光スポットへ行ってみた。盤門は紀元前508年呉王の命を受けて伍子胥(ごししょ、ウーズシュ)が蘇州城をつくった際の水門八門のうちの一つ。現在の橋は清代1872年に建造されたもの。古城遺跡公園として整備されているが、個人的にはわざわざ入場料を払って見るほどの場所ではない気がする。ただ、公園の中に伍子胥を祀った場所を偶然に見つけたことは収穫だった。越王「勾践」(えつおう こうせん、ゴウジエン)がつくったとあり、非常に興味深い。自分を散々苦しめた敵国の宰相伍子胥に対して勾践が敬意を払っていたことになる。敵味方関係なく人材を重んじる懐の深い中国人のイメージに合致するエピソードだ。

環秀山荘入場料               15×2=

留園入場料                  0×2=

盤門入場料                  25×2=

昼食                            6

夕食                           111

市内バス                          8

宿泊費/日                       358

計                         703RMB (=10545円)

(おまけ)

 伍子胥(ごししょ、ウーズシュ)は復讐に生涯をささげた激情の人。その激情ゆえに復讐も果たし、多大な功績を残したが、同時に主君に疎まれて最後は死を命ぜられた。伍子胥はもともと血の気の濃い人物が多いと言われる楚人(そひと)。父と兄を楚の平王に殺され呉の国に逃れた。そこで公子光(後の呉王闔閭)に仕えてクーデターに協力し、光の即位に大きく貢献した。呉に逃れて14年後、呉王闔閭(こうりょ)とともに楚の都を陥落させたが、既に平王は死んでいた。そこで伍子胥は平王の墓を暴き、死体を鞭打って恨みを晴らした。これが「死屍に鞭打つ(ししにむちうつ)」の語源。

越軍との戦がもとで闔閭が亡くなると息子の夫差(ふさ、フーチャイ)が即位した。伍子胥の補佐のもと夫差はみごと越軍を破り父の復讐を果たした。そのとき伍子胥は越王勾践(こうせん、ゴウジエン)を殺すことを進言したが、聞き入られず、夫差は勾践を捕らえて越を属国とすることで許してしまった。

 その後、夫差の中原への大規模出兵の決定に反対した伍子胥は死を命ぜられる。伍子胥は「自分が死んだら目玉をくりぬいて城門に置け、越軍が攻め込んでくる様を見届けてやる!」と言い残して自ら首をはねた。しかしながら、願いは叶わず、死体は銭塘江に捨てられた。有名な銭塘江の逆流現象は伍子胥の怨みから発生するという言い伝えもある。数年後、伍子胥の予言通り呉の隙を突いた越によって呉は滅ぼされて夫差も捕らえられた。夫差は「あの世で伍子胥に合わせる顔がない。」と顔を覆いながら死んでいったと言われている。

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中国」カテゴリの記事

コメント

こんにちわ。

最近父親になったTAKEです。
この時代の中国(戦国時代)の歴史は面白くて僕も好きです。
呉と越の国には他にも美女西施の話とか、越王の臥薪嘗胆の故事とか、いろいろありますよね。
伍子胥とともに呉を支えた人物に孫子(孫武)もいますしね。

うん、この頃の歴史面白いですよね。
ただ、同じ頃に日本では縄文時代というのが驚きですよね。文明の差を感じる。また、文字が無いということは歴史が無いということだというのが分かりますね。

南京へ行く新幹線について調べていたら、ここのページに辿り着きました。

中国の庭は好きで、中国庭園めぐりをしたことがあります。

なかなか、くわしい文章と、出費メモなんかも掲載されていて、非常に参考になりました。ありがとうございます。

お役に立てて光栄です。

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