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2013年2月

「残すべき建築」/松隈洋

 語りかけるようなやさしい文章で、36のモダニズム建築を紹介してくれます。カッコイイ写真もけっこう掲載されています。多くの名建築が次々と取り壊されていく問題を静かに訴えかけています。素人でも読みやすいので、モダニズム建築に興味がある人におススメです。建築の本としては1800円とお手頃です。

Book

 僕は松隈さんの本を読むようになって、今まで右から左に抜けていた先人建築家たちの言葉が心に留まるようになりました。この本の中でも、色々な言葉を紹介しています。

「衰弱し、金銭によって腐敗させられたわれわれの社会に必要なのは、各人の心の底に+(プラス)を書き入れることだ。それで十分であり、それがすべてだ。それは希望である。」(ル・コルビュジェ)

「自ら建築家と名乗る以上は、あくまでも人間の側に立ってその生活の場の独立を防衛し、個人が喪失しようとしている自主性を積極的に回復すべき方向にその社会的職責を明確に自覚すべきである」(大江宏)

「建築とはすぐれて人間的な営為であるとも言うべきでありましょう。したがって私たち建築家にとって、建築とは何か、という問いに、言葉であれ、その作品においてであれ、それに答えるには、それと同時に、またはそれに先立って、人間とは何か、という問いに何らかの答えを用意しておかなければならぬことになるのであります。」(増田友也)

「一本の樹の下で、教師であると思ってもいない一人の人間が、自分らを学生であると思ってもいない数人の人々と、彼の現実化について話し合うとき、それが学校の始まりである。・・・確定された人間活動は、どんなものでもその始原においてもっとも素晴らしい。」(ルイス・カーン)

「『みていていやでない建築』をつくることも大切なことだ。」(吉田鉄郎)

 これらの言葉を読むと、総じて〝都市と人間〟〝建築と人間〟ということを真っ直ぐ見つめていたことを感じます。これに反して、現代都市がどんどん人間との関係が希薄になっていく気がします。また、評論家の松山巌さんの「建築という友」という文章を紹介していますが、建築に関わるものとして肝に銘じなければと思います。

「幸田露伴は貧窮がかならずしも悪いことばかりを人にもたらさない、貧窮には四つの功徳があると語る。『人を鍛ひ練る』『友を洗ふ』『真を悟らしめる』『人を養ふ』の四点である。・・・この友はバブル時代にはポストモダンと称する衣装をまとって現れた。・・・内面になにもなかったからやがて、この友は消えた。そして超高層時代はまるでエリートサラリーマンのように、汚れもなく身だしなみは良いが、いずれも同じく画一的。・・・あらためて町を歩けば・・・もはや懐かしい友の姿は稀である。・・・我々はどのように建築という『友を洗ふ』だろうか。それは過去ではなく未来の問題である」(松山巌)

 

神奈川県立近代美術館(1951)

 昔から見たい見たいと思い続け、ようやく鎌倉までやってきた。美術館は鶴岡八幡宮の境内に位置する。鎌倉駅から観光地らしい整備された参道を抜けると左手に美術館が現れる。木々の間から清々しい白い箱が鮮やかに浮かぶ。周囲の樹木や池と対比的に調和する。プロポーションも美しい。何か違う、あれ、池の水がない。運悪くちょうど数十年ぶりの池の底の泥さらい工事の真最中。建物周辺の工事車両や機械設備も景観をじゃまする。本当に残念。普段であれば、金閣寺にも似た水に浮かんだ印象的な光景をつくり出すことだろう。頭の中で想像するしかない。

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 正面入口側にまわると、特徴的な大階段とその真ん中に赤とグレーで塗装された華奢な柱が印象的で、奥に中庭が透ける。大階段と中庭との間の鉄製格子にだけ違和感を覚える。これが無ければ、開放的な空間構成の気持ち良さが倍増すると思うのだが・・・。管理のために仕方ないのだろう。それとも、わざと開放性を抑えているのだろうか。

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 大階段を上った二階の受付から展示室に入る。「現代への扉 実験工房展 戦後芸術を切り拓く」と題された展示会が開催されている。無知な僕は、実験工房というものの存在すら知らなかったが、なかなか面白い展示。「実験工房」は、1951年に結成された若手芸術家たちの集まりで、美術、音楽、照明、文学などジャンルを超えたグループとして生まれた。造形作家の大辻清司、北台省三、作曲家の佐藤慶次郎、武満徹、詩人・評論家の秋山邦晴、照明家の今井直次、エンジニアの山崎英夫らが名を連ねる。実験工房の名付け親は、詩人・美術評論家の瀧口修造。特にオートスライドの音と映像がシュールで引き込まれる。

 建物は、中庭を中心にロノ字型の平面を持ち上げて、一階がピロティ空間となっている。単純でとても分かりやすい空間構成なのだが、慎重に配された壁により、場所場所で異なった奥行きのある光景を造りだす。そして、南西の池へと気持ちよく視線が抜ける。こんなにリラックスして展示を楽しめる美術館は初めてだ。全然疲れない。室内展示スペースの割合が小さく、休憩場にもなる半屋外空間の割合が大きいことによるのだろう。八幡宮の深い緑に包まれた敷地の良さを活かした結果だと思う。来館者は、展示と共に自然環境を存分に楽しむことができる。季節が良いときには、ピロティで池を眺めながら何時間でもぼーっと本でも読みたいところだ。渡り廊下で繋がる茶色いコールテン鋼の新館には、耐震上の問題で入ることが適わなかった。

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 最近の贅沢な美術館建築を見慣れた目には、驚くほど質素な建物に映る。一階の外壁には大谷石を使用しているものの、内装・外装ともに全体的に安価な材料で構成されている。また、一階の重厚さと上層階の軽快さの対比も面白い。一階が、自然石の壁やコンクリートの手すりで構成されているのに対して、上層階は、工業製品パネル(アスベストボード)で覆われた白い箱を細い柱が支える。ただ、鉄、コンクリートや自然石に対してアスベストボードは時間に耐えられない素材に思える。近くで見たり、触れたりした感じは今一つだ。

 最後に二階の喫茶で軽い食事をして帰る。客は僕一人で、ちょっと淋しい雰囲気。「寒くてすみません」お店の方も部屋の寒さに困った様子。池側テラスとの間は全面シングルガラスの掃出し窓なので、寒いのも当然。「ペアガラスのサッシに早く改修すれば良いのに」と心の中でつぶやく。〝寒い〟ばっかりに「この美術館は古くてダメな建物」というレッテルを貼られてしまうのが怖い。

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 お金をかけずに、奇をてらわずにこれだけ豊かな空間、質の高い建築をつくることができる。僕の大好きな建築がひとつ増えた。池の工事が終わる5月以降にまた観に来たい。

 

建築名:神奈川県立近代美術館(現神奈川県立近代美術館鎌倉館)

竣工年:1951

設計者:坂倉準三

施工者:馬淵建設

所在地:神奈川県鎌倉市雪の下2153

坂倉準三(さかくらじゅんぞう)・・・建築家。19011969。岐阜県生まれ。東京大学を卒業後、渡仏、193136ル・コルビュジェの下で働き、1940年独立。神奈川県立美術館、羽鳥市庁舎、新宿西口広場等を設計。

 

参考文献・・・『残すべき建築』松隈洋

『新建築 建築ガイドブック』新建築編集部

『神奈川県立近代美術館HP』

 

日本ルーテル神学大学(1969)

 冬の晴れた日曜日、村野藤吾設計の日本ルーテル神学大学(現ルーテル学院大学)を見に出かけた。著書『残すべき建築』の中で松隈洋さんが学生時代にこの建物を見て衝撃を受けたと記している。

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 「あらっ、結構小さいんだ」これが第一印象。大学という権威的なイメージと写真から勝手にもっと大きな建物を想像していたが、良い意味で裏切られた。通常イメージする大学とはかなり違った雰囲気が漂う。一つは学生数400500人という規模の小ささ、もう一つはキリスト教のどんな人でも受け入れるという姿勢によるのだろう。日曜日なので人影はほとんどないが、日曜礼拝の最中なのか、チャペルから歌声がかすかに聞こえてくる。

 こじんまりしたキャンパス内のあちこちには、建物と建物の間に心地よい場所が散りばめられている。大きく育った大木の下に学生たちが集まって談笑する光景が目に浮かぶ。チャペルを中心に建物が中庭空間を囲むように配置されている。とても人間的スケールで安心する空間だ。中庭では礼拝に来ているらしき子供たちが駆け回っている。

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 恐る恐る建物内に入ってみる。最初に見かけた人に建物を見学しに来た旨を告げると、親切に色々説明してくれた。やさしいその方は、牧師で大学の礼拝や宗教活動責任者の河田優先生だった。ちょっと恐縮。この場所は、元々東京基督教大学の敷地で、「キリスト教系大学を集めましょう」ということで現在3つの大学が隣接している。全体の意匠としては「水」を主要なモチーフとしている。チャペルのまわりも池にして、水に浮かんだチャペルに橋を渡って入るというのが、村野藤吾の当初構想だったそうだ。現在屋内化されている渡り廊下の床をよく見ると、なるほど水上に据えられたような意匠となっている。残念ながら、水がはられたことはないそうだ。窓ガラス部には、上から下に水が流れるようなデザインとするために大小無数の細かいガラスの破片をシートに貼っている。その時ちょうど、木漏れ日が射しており、その効果を最大限に発揮していた。デザインは気に入っているが、掃除ができずメンテナンスに苦労しているという。残念ながら、一部を残してガラス破片群を撤去予定だそうだ。外壁の一部も水が流れるようなやわらかい曲線で接地している。

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 外観は村野藤吾というよりは、アルヴァ・アアルトやユハ・レイビスカといったフィンランド建築の趣がする。周辺建物は控えめなデザインだが、チャペル正面だけちょっと大げさな印象を受ける。それに対して、内部空間の有機的な形状、トップライトや照明器具のデザインは村野藤吾らしさが表れている。

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 ここには、ヒューマンスケールのやさしく包まれるような場所がある。貴重な場所だと思う。ちなみにルーテルとは宗教改革者ルターのこと。

 

建築名:日本ルーテル神学大学(現ルーテル学院大学)

竣工年:1969

設計者:村野藤吾

施工者:鹿島建設

所在地:東京都三鷹市大沢3-10-20

※村野藤吾(むらのとうご)・・・建築家。1891-1984。佐賀県生まれ。早稲田大学卒業後、渡辺節建築事務所を経て、1929年独立。宇部市民館、世界記念平和聖堂、日生劇場等を設計。

 

参考文献・・・『残すべき建築』松隈洋

『新建築 建築ガイドブック』新建築編集部

『ルーテル学院大学 キリスト教ハンドブック』ルーテル学院大学宗教委員会

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