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日本ルーテル神学大学(1969)

 冬の晴れた日曜日、村野藤吾設計の日本ルーテル神学大学(現ルーテル学院大学)を見に出かけた。著書『残すべき建築』の中で松隈洋さんが学生時代にこの建物を見て衝撃を受けたと記している。

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 「あらっ、結構小さいんだ」これが第一印象。大学という権威的なイメージと写真から勝手にもっと大きな建物を想像していたが、良い意味で裏切られた。通常イメージする大学とはかなり違った雰囲気が漂う。一つは学生数400500人という規模の小ささ、もう一つはキリスト教のどんな人でも受け入れるという姿勢によるのだろう。日曜日なので人影はほとんどないが、日曜礼拝の最中なのか、チャペルから歌声がかすかに聞こえてくる。

 こじんまりしたキャンパス内のあちこちには、建物と建物の間に心地よい場所が散りばめられている。大きく育った大木の下に学生たちが集まって談笑する光景が目に浮かぶ。チャペルを中心に建物が中庭空間を囲むように配置されている。とても人間的スケールで安心する空間だ。中庭では礼拝に来ているらしき子供たちが駆け回っている。

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 恐る恐る建物内に入ってみる。最初に見かけた人に建物を見学しに来た旨を告げると、親切に色々説明してくれた。やさしいその方は、牧師で大学の礼拝や宗教活動責任者の河田優先生だった。ちょっと恐縮。この場所は、元々東京基督教大学の敷地で、「キリスト教系大学を集めましょう」ということで現在3つの大学が隣接している。全体の意匠としては「水」を主要なモチーフとしている。チャペルのまわりも池にして、水に浮かんだチャペルに橋を渡って入るというのが、村野藤吾の当初構想だったそうだ。現在屋内化されている渡り廊下の床をよく見ると、なるほど水上に据えられたような意匠となっている。残念ながら、水がはられたことはないそうだ。窓ガラス部には、上から下に水が流れるようなデザインとするために大小無数の細かいガラスの破片をシートに貼っている。その時ちょうど、木漏れ日が射しており、その効果を最大限に発揮していた。デザインは気に入っているが、掃除ができずメンテナンスに苦労しているという。残念ながら、一部を残してガラス破片群を撤去予定だそうだ。外壁の一部も水が流れるようなやわらかい曲線で接地している。

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 外観は村野藤吾というよりは、アルヴァ・アアルトやユハ・レイビスカといったフィンランド建築の趣がする。周辺建物は控えめなデザインだが、チャペル正面だけちょっと大げさな印象を受ける。それに対して、内部空間の有機的な形状、トップライトや照明器具のデザインは村野藤吾らしさが表れている。

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 ここには、ヒューマンスケールのやさしく包まれるような場所がある。貴重な場所だと思う。ちなみにルーテルとは宗教改革者ルターのこと。

 

建築名:日本ルーテル神学大学(現ルーテル学院大学)

竣工年:1969

設計者:村野藤吾

施工者:鹿島建設

所在地:東京都三鷹市大沢3-10-20

※村野藤吾(むらのとうご)・・・建築家。1891-1984。佐賀県生まれ。早稲田大学卒業後、渡辺節建築事務所を経て、1929年独立。宇部市民館、世界記念平和聖堂、日生劇場等を設計。

 

参考文献・・・『残すべき建築』松隈洋

『新建築 建築ガイドブック』新建築編集部

『ルーテル学院大学 キリスト教ハンドブック』ルーテル学院大学宗教委員会

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