修学院離宮
ある日の夕方、京都御苑にある宮内庁事務所を訪ねると、翌日分の見学予約ができてしまいました。季節によるのだろうが、平日だと意外と空きがあるようです。叡山電車で出町柳から4駅の修学院駅を降りて、川沿い東の方に二十分ほど歩くと修学院離宮の入口に辿り着きます。
修学院離宮は、1655,56~59年にかけて後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)により比叡山麓に造営された。桂離宮に遅れること30年余り。後水尾天皇は34歳で上皇となり、60歳のときに修学院離宮の造営にとりかかったことになる。上・中・下、3つの御茶屋が松並木の道で結ばれ、道の両側には田畑が広がる。松並木と田畑という少し不思議な取り合わせだが、山並みを背景としてとても美しい景観をつくりだす。元あぜ道を明治天皇の御幸に備えて拡張整備し、松が植えられた。景観保持のために昭和39年に水田畑地を買い上げているが、現在も地元の農家の方に耕作してもらっているそうだ。
下離宮に唯一残る建物は「寿月観(じゅげつかん)」。杮葺入母屋数寄屋風造りで、周囲に縁が回り、シンプルで美しい。
中離宮には楽只軒(らくしけん)と客殿(きゃくでん)の2つの建物がある。客殿には「霞棚(かすみだな)」と呼ばれる違い棚がある。桂離宮の桂棚、三宝院の醍醐棚とともに天下の三棚と称される。
後水尾上皇が最も多くの時間を過ごされたという上離宮の隣雲亭(りんうんてい)からの景色はさすがに素晴らしい。洛北の山々を背景として左手に京都市街を、右手に浴龍池(よくりゅうち)を、見下ろすことができる。とても広がりのある景色で、浴龍池が遠くに感じたが、歩いて降りるとすぐそこだった。隣雲亭は非常に簡素で開放的な建物。やはり後水尾上皇もこういう建物の方が、居心地良かったのではなかろうか。しっくいのたたきには石が一つ、二つ、三つと埋め込まれており「一二三石(ひふみいし)」と呼ばれる。上品できれいな床パターンである。上離宮にあるもう一つの建物「窮すい亭(きゅうすいてい)」は創建当時から現存する唯一のもの。蔀戸(しとみど)が特徴的な宝形造りのモダンなデザインの建物。
その他個人的に気に入った箇所は、浴龍池にかかる土橋とバラエティに富んだ意匠の各所の門と塀。土橋は、栗の手斧削りの欄干を持ち、その足元に苔の生えた土を設えた凝ったつくりをしている。橋全体も大きく沿って美しいシルエットをつくり出す。土橋もそうだが、苔のついた立体的な地面の造形もなかなか。
せっかく近いので、また訪れたいと思う。
建築名:修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう)
竣工年:1659年
設計者:後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)
所在地:京都市左京修学院室町
入場料:無料、要事前予約
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