銀閣寺
銀閣寺は臨済宗相国寺派に属する禅寺で、正しくは東山慈照寺という。室町幕府八代将軍足利義政が、隠栖生活を過ごすために1482年から山荘東山殿の造営を始めた。1490年の義政の没後、禅寺に改められた。
観音殿(銀閣)と東求堂の二棟のみ当時の姿を今に伝える。ひときわ印象に残る白砂の銀沙灘と向月台も江戸後期以降に今の形となった。月に一度数人の庭師で数時間かけて作り直しているそうだ。あいにく曇りだったが、天気の良い日には白川砂が太陽や月の明かりに反射してきらきら光る。月夜を想像してみる、なんと風流で幻想的な風景だろう。メインの観音殿は、一層は書院風、二層は唐様仏殿風の楼閣建築。東から池を手前に眺めると確かに美しいが、方丈側から眺めると不安定に感じる。一層の南東部が吹き放しとなっているせいだ。方丈も江戸中期の建造なので、こちら側から観音殿を眺めることは、あまり想定されていなかったのかもしれない。
東求堂は6.9m四方の入母屋造り檜皮葺の持仏堂。書院造の現存最古の遺構とされる。今回の特別拝観で初めて中に入る。内部は田の字型プランで4室から構成される。南にメインの仏間、その東側に長四畳、その北に四畳半の同仁斎、北西に六畳間。東求堂と言えば同仁斎が有名だが、仏間も実にいい。大きな4枚の床材も500年以上の時を経ている。天井は折上小組格天井で、白い天井と組子とのコントラストが鮮やかで繊細な美しさが際立つ。
床は畳が敷き詰められ、北側に付書院と違い棚を設えた同仁斎は、草庵茶室、四畳半間取りの始まりといわれている。床の間、違い棚、付書院の三点セットよりもこのように付書院と違い棚だけの方がすっきりして個人的には好みだ。付書院から北側採光なので均質に光が入り、障子を開けると庭の景色が一幅の掛け軸のようにも見える。
実は銀閣寺の一番好きなところは、庭の美しい苔。さすが、義政公が苔寺(西芳寺)に倣ったと言われるだけのことはある。
建築名:銀閣寺
竣工年:1490年
所在地:京都市左京区銀閣寺町2
拝観料:500円、特別拝観別途1000円
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