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Ca’d’Oro  カ・ドーロ

  ヴェネツィアで一番印象に残っている建物、カ・ドーロは大運河沿いに美しく上品にたたずむ。ヴェネツィアが繁栄を誇っていた15世紀に建てられたヴェネツィアン・ゴシックの好例。装飾に富んだビザンチンやイスラムの影響を示す。典型的なヴェネツィア邸宅は、三階建てが多く、敷地の節約のためであり、水面レベルの一階が、居住用には使えず、倉庫に用いるしかない。二階が主要階となるが、通例は、前側と後側の中央部に大きな窓を設けたグラン・サローネ(大広間)を設けて各室に採光している。

 1,2,3階のそれぞれ異なるアーチがファサードを印象付ける。特に2,3階の腰高の6連アーチは透かし彫りのようで本当に美しい。吹きさらしの1階及び2.3階バルコニーでは現代アートが展示されていた。非常に建物にマッチしており、イタリア人のセンスの良さに感服する。特に3階バルコニーのインスタレーションは素晴らしかった。Verhoeven Twinsによる“Moment of Happiness”という作品で、天井からガラスでできた泡の彫刻がいくつも吊るされていた。その泡には、美しい建物のアーチや運河の街の景色が映りこんでいる。美しい屋外階段とバルトロメオ・ボンによって装飾を施された井戸のある一階中庭空間も必見。

 カ・ドーロは元々行政官も務めたマリーノ・コンタリーニの邸宅で、当初は金箔で装飾されたファサードが輝いていたことから黄金宮殿(カ・ドーロ)と呼ばれた。1894年にアート・コレクターのGiorgio Franchettiが購入修復し、現在フランケティ美術館となっている。

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正倉院

 想像していたより大きく圧倒的な存在感を発する建築物。直系60㎝の束柱40本で持ち上げられた高床式倉庫で、間口33m、奥行9.4m、総高14m、床下2.7m。北倉、中倉、南倉の3つの倉庫で構成され、本瓦葺き寄棟造の屋根で覆われた堂々たる姿をしている。軒の出は4mほどある。北倉と南倉は、三角材(校木)を井桁に組み上げた校倉造りで、中倉は正面と背面に厚い板をはめた板倉造り。見ることはできないが、内部は2階になっている。束柱の上に渡された台輪が1.8m外へ張り出しており、特徴的な意匠をつくっている。柱に巻いた鉄帯や、台輪の端部にかぶせた銅板は、後世の修理時に加えられたもの。

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 正倉院は1200年以上にわたって東大寺ゆかりの宝物を保管してきた。端正で力強い外観から、“宝物を保管する”ということだけをひたすら考えた当時の人たちの思いを感じる。迷いがない。この建物には地面から扉へアクセスする階段すら存在しない。

 平日の10時から15時まで無料で一般公開している。少し離れた正面からだけしか見ることができないのがちょっと残念。

建築名:正倉院正倉

竣工年:8世紀(奈良時代)

所在地:奈良県奈良市

拝観料:無料

参照文献:正倉院パンフレット、日本建築の形Ⅰ/斎藤裕

浄土時浄土堂

目的地に近づくと、普通の町中の小高い丘の上に鎮座する浄土堂がさらっと現れる。山の中や周囲を樹木で覆われる境内を勝手にイメージしていたので不思議な景色に映った。

浄土寺浄土堂は鎌倉時代初期に重源(ちょうげん)上人により建てられた。宋代の技術を取り入れた大仏様(天竺様)と呼ばれる工法でつくられている。現存する大仏様建築としては、他に奈良東大寺の南大門があるのみ。

浄土堂は三間×三間の正方形平面をした、単層宝形屋根を持つ極めてシンプルな建物。屋根の反りもほとんどなく、軒先には鼻隠し板が付く。シンプルすぎて物足りない外観。貧相にさえ見える。特に遠くから眺めると今一つに感じる。日本人の美意識に合わず、普及しなかったのかもしれない。各立面に柱が4本しか現れず、しかもスパンが大きく飛んでいるということも外観の寂しさを助長する。実はこの大きなスパンが浄土寺浄土堂の最大の特徴と言える。一間が6m、これは一般的な寺院建築の約二倍。建物の中に入るとよりその特徴を感じることができる。

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大きい。こんなに広々として明るいお堂は経験したことがない。とても現代建築に近い空間だ。これだけの大空間に四天柱と呼ばれる柱が4本あるのみ。4本の柱はさすがに太い。この四天柱の存在感が内部空間を支配する。天井を張っていないので柱は屋根まで一直線に伸びる。四天柱の内側には、快慶作の高さ5.3mの阿弥陀三尊立像が安置されており、外側へは、三方へ三段、つまり一本の柱から九本もの虹梁(こうりょう)と呼ばれる梁が伸びる。力強いダイナミックな空間だ。しかも各材が朱色に塗られているため、より印象も強い。この朱色が内部空間の演出をより強烈にする。

西側一面は格子蔀戸となっており、夏至の頃の夕方に内部空間いっぱいに夕日が射し込む光景がよく知られている。夕日を背に浮かび上がる阿弥陀三尊様の来迎の姿は誰もが息を飲むという。残念ながら時期が合わず、そのお姿を拝むことはできなかった。しかし、床面に大きく射し込む格子模様の夕陽とその反射光が柱や梁や組物、そして阿弥陀三尊像を照らして美しい影とのコントラストをつくりだす光景を目にすることができた。

建築名:浄土寺浄土堂

竣工年:1197

所在地:兵庫県小野市浄谷町2094

拝観料:500

旧閑谷学校

相生の現場のついでに足を延ばして旧閑谷学校を見に行ってきた。平日昼間から大勢の人々が訪れており、一大観光地になっていることにちょっと驚く。

旧閑谷学校は岡山藩主池田光政の命を受け、津田永忠により1670年に創立された庶民教育のための学校。1701年に国宝の講堂をはじめとする建築物の全容が完成された。

地を這う蛇のように延々と続く石塀が独特の景色を形づくる。かまぼこ型の珍しい形をした魅力的な塀で、切り込みはぎ式と呼ばれる精巧な石組み。この765mにも及ぶ塀が内側の時を止めているのではないかという錯覚に陥る。

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備前焼瓦で葺かれた立派な屋根が印象的な講堂が堂々とした姿を見せる。まばらなオレンジ色の瓦が陽の光を受けて美しく輝く。このまばらなのがいい。塀も同じく自然石なのでまばらな色合いが実にいい。かつて四書五経などの講義が行われていたという講堂に入ると、拭き漆の床がピカピカに光っている。10本の丸柱と火灯窓の明かりが床にくっきり映り込む。なんだか背筋の伸びる空間だ。

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建築名:旧閑谷学校

竣工年:1701

所在地:岡山県備前市閑谷784

入場料:400

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