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京都

京大立て看板強制撤去について

 京都大学が吉田キャンパスの周囲に並んだ立て看板を強制撤去した。景観条例に違反するとして京都市から指導をうけてのことのようだ。表現の自由VS景観という構図で議論されるが、僕は純粋に景観の問題だと捉える。

 果たして立て看板がなくなって景観が向上したのだろうか。ただ、淋しい通りになってしまっただけではないのだろうか。実際に現場で立て看板がある場合とない場合のどちらが景観上好ましいかを検証した上での決定なのだろうか。それとも、規制の条項とただ照らし合わせただけなのだろうか。景観をよくすることが大事なのか、それとも条文を守ることが重要なのか。容易に陥りやすい落とし穴があるように思える。本末転倒だけは避けなければならない。

 そもそも良い景観とは何だろうか。とても難しい繊細な問題だと思う。建物や塀などの人工物の景観を考える場合、まず2つの対策が思い浮かぶ。一つは、周囲と調和させること。もう一つは素材を吟味して形や色を整え美しくすること。調和とは?美しさとは?どちらも簡単な答えがあるわけではない。少なくとも条例の文言だけでそれを解決できるとは到底思われない。

 景観を考える上で前述の2点の他にもう一つ考えなければならないことがあると思う。広辞苑の景観の蘭を読むと「自然と人間界のことが入りまじっている現実のさま」とある。また京都市発行の冊子『京都の景観』の中に「京都の景観は、自然や時の流れとともに人の営みや暮らしによりかたちづくられてきました」という記載がある。そう、景観には我々人間が欠かせない。町並みに人々の活動や個性がにじみ出ると魅力的な景観が形成されると思う。露地裏の植木鉢、ベランダの布団干し、道路にはみ出た八百屋のダンボール箱、道路に張りだしたカフェテラス、どれもがとても魅力的。場合によってはルールからちょっとはみ出しているかもしれないが、それらを全て厳密に取り締まっては町の魅力や活力が半減する。ルールを少し緩くするという知恵を働かせることもできる。ただきれいな建物が整然と並んだよそよそしい町には何の魅力も感じない。「死んだ景観」と呼べるかもしれない。吉田キャンパスの立て看板は京大生の活動や個性が街ににじみ出たものだと思う。これこそが守るべき景観とは考えることができないのだろうか。

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法界寺阿弥陀堂

門に近づくと、左奥に木々で半分隠れた檜皮葺屋根の趣のある建物がそっと現れる。宝形造に裳階がついた堂々とした姿が存在感を示す。吹き放たれた裳階の列柱が更に目に心地よい。

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法界寺は足利義政の妻日野富子で知られる日野氏の菩提寺。1051年日野資業(すけなり)が薬師堂を建立したのが始まり。開山は最澄でもとは天台宗だったが、現在は真言宗醍醐派の別格本山。親鸞聖人誕生の地としても知られる。1221年、承久の乱で堂宇の大半を失い、現在の阿弥陀堂は1226年頃、唱導僧・聖覚(しょうかく)により再建されたものとされる。平等院鳳凰堂の本尊と同じ仏師・定朝(じょうちょう)による阿弥陀像が焼失を免れたと伝わる。

堂内に入ると、大空間の中心に四天柱に囲まれた須弥壇に安置された大きな阿弥陀如来坐像の迫力に圧倒される。来迎壁がなく仏像を四周からゆっくり眺めることができる。お顔は幼子のようだが、光背と天蓋の彫り物のせいか荘厳な雰囲気をもつ。四天柱や長押上の小壁の内外には曼荼羅の諸尊や飛天の色褪せた絵で埋め尽くされている。当時の信仰の篤さや時の流れを感じさせる。四天柱と側柱をつなぐ虹梁などは一切なく、四周の壁から中心に向かって化粧垂木でつながる天井面が遮るものなく目に入る。求心性と上昇感を高めている。個人的には天井がもっと高い位置にあって、須弥壇空間がより独立するとバランスが良いように思う。

宝形プランといえば、重源(ちょうげん)の建てた浄土寺浄土堂が思い浮かぶ。浄土寺浄土堂はシンプルでモダンな外観に対して、内部空間は朱色の虹梁が四方に飛ぶ複雑な印象を与える。これに対して法界寺阿弥陀堂はちょうど逆。外部は檜皮葺屋根に裳階や吹き放し列柱を備えたいかにも古建築だが、内部空間はシンプルでモダンな印象。

阿弥陀堂、阿弥陀如来坐像ともに国宝だが、観光客もまばらで静かでひっそりとした寺院。

 

建築名:法界寺阿弥陀堂

竣工年:1226

所在地:京都市伏見区日野西大道町19

拝観料:500

参照文献:法界寺パンフレット、日本建築の形Ⅰ/斎藤裕、Yahooコトバンク

銀閣寺

 銀閣寺は臨済宗相国寺派に属する禅寺で、正しくは東山慈照寺という。室町幕府八代将軍足利義政が、隠栖生活を過ごすために1482年から山荘東山殿の造営を始めた。1490年の義政の没後、禅寺に改められた。

 観音殿(銀閣)と東求堂の二棟のみ当時の姿を今に伝える。ひときわ印象に残る白砂の銀沙灘と向月台も江戸後期以降に今の形となった。月に一度数人の庭師で数時間かけて作り直しているそうだ。あいにく曇りだったが、天気の良い日には白川砂が太陽や月の明かりに反射してきらきら光る。月夜を想像してみる、なんと風流で幻想的な風景だろう。メインの観音殿は、一層は書院風、二層は唐様仏殿風の楼閣建築。東から池を手前に眺めると確かに美しいが、方丈側から眺めると不安定に感じる。一層の南東部が吹き放しとなっているせいだ。方丈も江戸中期の建造なので、こちら側から観音殿を眺めることは、あまり想定されていなかったのかもしれない。

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 東求堂は6.9m四方の入母屋造り檜皮葺の持仏堂。書院造の現存最古の遺構とされる。今回の特別拝観で初めて中に入る。内部は田の字型プランで4室から構成される。南にメインの仏間、その東側に長四畳、その北に四畳半の同仁斎、北西に六畳間。東求堂と言えば同仁斎が有名だが、仏間も実にいい。大きな4枚の床材も500年以上の時を経ている。天井は折上小組格天井で、白い天井と組子とのコントラストが鮮やかで繊細な美しさが際立つ。

 

床は畳が敷き詰められ、北側に付書院と違い棚を設えた同仁斎は、草庵茶室、四畳半間取りの始まりといわれている。床の間、違い棚、付書院の三点セットよりもこのように付書院と違い棚だけの方がすっきりして個人的には好みだ。付書院から北側採光なので均質に光が入り、障子を開けると庭の景色が一幅の掛け軸のようにも見える。

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 実は銀閣寺の一番好きなところは、庭の美しい苔。さすが、義政公が苔寺(西芳寺)に倣ったと言われるだけのことはある。

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建築名:銀閣寺

竣工年:1490

所在地:京都市左京区銀閣寺2

拝観料:500円、特別拝観別途1000

 

圓徳院

圓徳院、京都高台寺の塔頭寺院の一つ。豊臣秀吉の妻北政所が余生を過ごした「ねね終焉の地」として知られる。1605年、伏見城の化粧御殿とその前庭を移築したことに始まる。

長屋門をくぐると「圓徳」の扁額の掛かった唐門が現れ、奥にアプローチ空間が続く。

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方丈へ上がると簡素で気持ちの良い南庭が広がる。書院へとつながる渡り廊下からはねねの小道を見下ろす。屋根と屋根の間の細い路地空間、中国江南地方の水郷の街でも見たようなとても好きな景色。

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渡り廊下を抜けると目当ての北庭と書院へとたどり着く。東と北が開け放たれたとても心地よい場所。残念ながら化粧御殿は消失したが、北庭は伏見城から移築した当時の原型を留めている。石組の名手賢庭作で小堀遠州が手を加えたとされる。白砂の奥に無数の石組が構成され、そこに新緑のきらきらとした楓の枝葉が覆いかぶさる。石の多さもそうだが、全体構成もあまり見たことがない庭園。どうやら池泉回遊式なのに水が無い枯山水になっているので不思議な感じがしたようだ。もともと伏見城では水が張られていたそうだ。良いなーと感じる庭園はどれも奥行感がある。この庭も然り。室内奥から眺めると特に美しい。
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建築名:圓徳院

竣工年:1605

所在地:京都市東山区高台寺下河原町530

拝観料:500

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ながいきおまめ 一年点検

去年竣工したお惣菜屋さん「ながいきおまめ」の一年点検を施工者の西洋建設さんと行ってきました。

全体を一通り目視検査した結果、外部足元鉄部に少し錆びが発生していることと天井クロスに一部汚れが見られることが気になりました。錆部のケレン&塗装タッチアップ、天井クロスの洗いを試してもらうことになりました。

その他建具等の機能確認を行いましたが、特に問題は無いようです。

お施主さんからは厨房に棚設置の依頼があり、現場で大きさを決め、まず西洋建設さんに見積をお願いしました。また、部分的に熱気が溜まる部分がありとのことなので、後日お店が休みのときに排気口を追加可能かどうかの検討をすることになりました。

今夜のおかずを少し購入して、お店の一周年チラシを頂いて一年点検終了!お店の方も順調なようでとても嬉しい。

今度ドラマのロケに使われるそうです。放映が楽しみです。

光明院 波心庭

連休最終日に東福寺の塔頭のひとつ光明院を訪れた。重森三玲による「波心庭」を見るためだ。苔と白砂に沢山の石が突き刺さる珍しい風景が広がる。写真からは石がごちゃごちゃし過ぎて今一つかもしれないと心配していたが、意外と落ち着く。他の観光客が少なかったせいもあるかもしれない。立体的な苔のうねりが、躍動感があって奥行を感じさせる景色をつくりだす。部屋の中から眺めるとより印象的だ。

三尊石を三ヶ所に配置し、そこから寺号にちなむ光明の線が四方に延びて、その線上にたくさんの石を並べるという構成。白砂は海、苔は州浜を表すという。打ちつける波のしぶきを表現したという苔に小石を点在させた意匠もにくい。ちょうど背後のサツキが咲いて少し華やか。このサツキとツツジの刈込みがよりモダンな印象をつくりだす気がする。

「波心庭」の名は禅語、「無雲生嶺上 有月落波心(雲の嶺上に生ずる無くんば、月の波心に落つる有り)」にちなんでいる。「雲が山の山上に生じなかったら、月の光は常に波に映じて美しいでしょう」 雲は煩悩と、月の光はさとりの光を指しているという。

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建築名:光明院(こうみょういん)

作庭年:1939

所在地:京都市東山区本町15丁目809

志納:300円程度

町家改修工事その7

町家改修工事、工期が短く大変でしたが、無事に引き渡すことができました。工務店さんや職人さんたちのおかげで予想以上に良い家になったと思います。

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キッチンはサンワカンパニーのPLAIN-K MEDIUMです。手持ち電磁調理器を使用するためにコンロなし加工としています。 レンジフードもサンワカンパニーのミニマル6040です。

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既存の建具を利用してキッチン後ろに大きな収納をつくりました。

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ペンダント照明は、ルイス・ポールセンのPH4/3です。

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写真でうまく写せませんが、小さいながらも中庭もいい感じになりました。

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家族みんなで楽しく住んで頂ければと思います。

町家改修工事その6

竣工を前に現場も佳境を迎えています。大工さん、電気屋さん、塗装屋さん、クロス屋さんがラストスパートで頑張ってくれています。写真は収納を作っているところです。できあがりが楽しみです。

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町家改修工事その5

狭いながらも減築して中庭を設けました。大きく採光は期待できませんが、風通しがとても良くなると思います。日常的には物干し場です。脱衣、風呂に小さな換気窓を、洗面に採光窓を設けています。

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町家改修工事その4

土壁補修をしてもらいました。とてもいい感じです。

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